落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

最近のGCMPは作り込みすぎ

関係者の方、一意見として聞いてくださいね

GCMPは自由気ままな成長プラットフォームにならなければならず、昨今面白い人がそんなに集まらないというのは作り込み過ぎに原因があるのだろうという感じがしているという話。今のGCMPはある程度優秀で面白い人を大量に生むことはできるかもしれないが、突き抜けて面白いどころか理解不能なレベルに変になっちゃった人(=僕らが本当に見たいもの)を生むことはあまりできていないというのが問題意識です。

公報不足とか認知度不足とかの問題は本質的ではない。一番最初のGCMPが(僕は参加その期の参加者ではないが)参加者の質や攻めている感じがともに最上級だったというのは2つ理由があり、アーリーアダプターは概して面白いってのと、プログラムデザインがゆるゆるだったからというのだ。このうちアーリーアダプターの原理にはもう頼ることはできないから、プログラムのゆるゆる感は取り戻すべきだ。そこでは参加者に多量の裁量権が与えられる、つまり無茶ぶりとなる。それが参加者の成長のカギだったはずだと思う。

つまりアーリーアダプターは面白いという原理を再び作動させるためにプログラムを完全に刷新することも一手だが、それは天才にしかできない所業なので、われわれがとる次善策として、コンテンツをゆるゆるにしよーよってことです。別の言い方をすれば、今のプログラム設計では参加者の成功率が高すぎる。あそこまでお膳立てされりゃある程度うまくいった雰囲気の結果をだすことなんて簡単過ぎると思われる。うまくいった雰囲気を変に帯びることより、打ちひしがれるレベルの無力感のが貴重かもしれねーよとも言える。その無力感や刺激を出すためには参加者の中にモンスタークラスが結構な割合で混じっていればある程度達成されるかもしれんが、そこに頼りきってしまうのはいかがなものか。

現在のGCMPの設計はある程度の成長の起爆材にはなってはいるのだが、それでも超変態は生まれにくい構造だと思う。キモはやはり無茶ぶりと自由裁量であるべきだ。だから常々思っているのだが、GCMPが提供するコンテンツは下記の3つだけでいい①農村へのなるべく長期の滞在②グラミン銀行(あるいはもっとヤバイ奴の前)でのプレゼン③OBOGネットワークだ。参加者確定〜渡航を長く設け、その間に参加者に③を使って自由気ままに動いてもらい、そして①と②で爆発するという形で十分で、それ以外の枝葉やお膳立てはあまりしすぎると逆効果になる感じがしている。あるいは事前期間にネットでダッカ大の学生とつないで好き勝手に協働させておくとか。そして現地でもある程度「勝手にやってくれ、いい仕組み作れよ」という指示しか出さないという投げ方でいいんじゃないだろうか。それが一番燃えるっしょ。

ちなみにすでに築いた貴重なネットワークを無駄にする必要はない。そこは残しつつ(応募の段階で振り分けたりしたらよい。人の成長の仕方は様々だからそっちで伸びる人もいるはずだし。)、自由気ままチームを並立させるべきということです。

「ダメならダメで仕方ない。次がある。まずは盛大に爆死しよーぜ」がええなと

じゃ引き続きあとはまかせた