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落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

魔界としてのVISMOOT

VISMOOTにすでにもう都合3回関わってしまい、さらに今年コーチをするなんてことになって(僕はいま政治学徒を自称しているのに。。)もはやヤケになっている僕が思う「学部生がVISMOOTをやる意義」をつらつらと語ろうかと。長々とVISMOOTの有用性について語りますが、僕がこれを書く上で前提としている認識を先に書いておくと、学部レベルの日本の教育についていま議論しなきゃならないのはどうやって学生をやる気にさせるかであって、カリキュラムとかは全部手段だし教育内容も全部手段だよってことです。①やる気スイッチを激しくオンにするトラップを学校内に盛り込みまくる、②「大学にとりあえず行く」を減らして高校卒業→就職のロールモデルを確実に増やしていき、大学に行かないパターンと大学に行くパターンの競争を発生させることが必要、あたりが僕の立場ですが、ここではこれらには深く立ち入りません。言いたいことは、VISMOOTがよいのはそれがヤル気スイッチになるからであり、だからみんなせいぜいがんばれよwwってのと、指導者はそこらへんを意識した指導をすべきということです。


1. なぜVISMOOTは難しいのか

まずなぜVISMOOTが難しいのかについて書く。やっていけばわかるが、VISMOOTの難易度は、しっかりリーガルリサーチのトレーニングを受けたアメリカのJDロースクール生が四苦八苦するレベルであり、学部生がリアルにガチでやっても討死必至のレベルだ。ここではそのプロセスをリサーチ、ドラフト、アドボカシーに分けて書き、その後に学部生が出場すること固有の問題も加える。最後に指導者が果たすべき機能を添える。

まずはリサーチである。VISMOOTで提示される国際商事仲裁上の、あるいは国際商取引法上の論点というのは、いまだ定説がない議論の余地ありまくりの論点であることが常であり、議論の定式化が済んでいる古典論点が登場することは稀である。だからもちろん、一般的な仲裁の教科書を読むことでは答えはみつからない。教科書は、どんな議論の可能性がありうるのかの発見のために使う。そこで参照されるべきケースが発見されることもあるかもしれないがそれがすべてではまったくない。問題を読んで論点を正確に把握して教科書でどんな議論の仕方がありうるかをある程度掴んだ上で、過去の仲裁判断を漁りまくったり、実務家や学者の論文など教科書にまだ登場していないレベルのカッティングエッジな議論を参照したりする必要がある。そしてどんなパターンの議論がありうるかをとりあえず揃えた上で、問題に立ち返り、どの筋の議論を展開すれば一番筋がいいかという視点でみて、書くべきケースあるいは学説を取捨選択する。これでようやく、リサーチが完成し、ドラフトの準備ができたと言える。

次はドラフトである。ここは他のふたつと比べれば簡単で、単純だ。リサーチの過程でみつけたケースと論の筋道を、説得的な形で決められた字数内で表現する、それだけである。法律を生業とする人々が説得される書き方(IRACまたはFIRACと呼ばれる)があるので、それを学んで基本に忠実に書く。どの論にどの程度の文字数をかけ、また取捨選択をどうするのかにつき議論は紛糾するだろうが、しっかりしたリサーチができていれば、その判断も自ずとついてくるはずである。あとはもうわかりやすく書くべし、書くべし。

最後にアドボカシーだ。日本の司法の世界では口頭弁論の説得性などが重視されることはあまりないようだが、国際商事仲裁の現場では口頭弁論の説得性はかなりモノを言うらしい(ゆーて、筆者は実際の仲裁の現場にいったことがないので歯切れよくは言えない)。リサーチとドラフトの成果を、3人のガチの仲裁人を前にして、限られた15分ほどの間にぶちかます、これがアドボカシーである。ここがもっともダイナミックで、はっきり言って理論をあーだこーだ述べても仕方がなく、トレーニングあるのみの分野である。基本的な目的は相手の立論を叩き潰すことではなく、仲裁人3人に対し自分の論を説得的に伝えることである。仲裁人に自分の論に与してもらうことを目的として、相手を叩き潰すのである。だから、相手を叩き潰すだけ叩き潰して自分の立場を伝えないのは0点に近いし、相手が叩き潰すに値しないミジンコ並みの立論だった時はあまり気にせず自分の立論をしっかり伝えたほうがいい。大抵、相手側はちゃんとした反論に値する立論をしてくるので、しっかりと議論を噛み合わせて、適切に反駁していくことにより自分の主張を伝えることができれば、高得点になるだろう。

さてこれだけでも、かなり骨が折れる作業だということが伝わっただろう。学部生として出場することで、その主観的難易度はさらに跳ね上がる。すべて英語であり、対戦相手が自分よりだいたい強く、チームワークをせねばならないからだ。リサーチのとこで述べたとおり、一般的な仲裁の教科書を読みことはいわばリサーチの入り口に過ぎないのであるが、学部生にとってはこの時点でかなりエグい。学部2年生でギャリーボーンの英文4000ページの教科書を手にとったら、自分はもしかして間違った樹海に迷い込んだのかもしれないと感じても然るべきだろう。そして入り口を通るために読まなければならない同じレベルの教科書は、5,6冊はあるのだ。しかし心を鬼にして伝えよう、それらは入り口に過ぎない。よちよち歩きながらも、その先、使ったこともないリサーチツールを駆使してケースや学説の探索に出かけよう。さもなくば、大学名をでかでかと印刷した上で提出されたあなたのメモは、世界の法学者の失笑に付されるか、あるいはあまりの低レベルさに対戦相手や審判を怒らせる原因ともなってしまうだろう。対戦相手は強い。英語のハンデを負っているのは我々だけだ。奴らは仲裁についてしっかり学び、リーガルリサーチにつき基本的なトレーニングを受けた上で、出場している。すべてを自転車操業でこなしている我々とはワケが違うのだ。

最後に、チームワークだ。学部2年生なんて所詮子どもだ。やる気をなくすこともあるだろうし、無責任に課題を投げ出すこともあるだろうし、何をすればいいのかわからず結局何もしないなんてこともあるだろう。そういうレベルもバラバラでモチベーションも上がり下がりするメンバーのチームの中で、適切にリーダーシップを発揮して(リーダーシップはリーダーだけが発揮するものではなく、チーム全員が発揮すべき必須のスキルだ)、チーム全員でメモ提出ひいては弁論期日までレベルアップを継続する。これはかなりエグいことである。(おれも学部2年のときはチームの足を引っ張りまくった。周りのメンバーのそんな苦労も知らずに、、

ちなみに、では指導者のすべきことはなんだろうか。それは、学部生に見えてない問題の深みを仄めかす、ということだ。学部生はVISMOOTになんとかかんとか取り組むわけだが、レベル差が激しすぎるので、自分がどんぐらいダメなのかさえわからないパターンもある。それを、学部生にやんわりと教えてあげることだ。お、わりとできるようになってきた!と誤解している学部生をしっかりと叩く。それをすることで、学部生は確かにヤル気になる。ちなみに僕は、モチベーションの源泉はモチベーションがでさえすりゃなんでもいいと思うが(功名心、危機感、ワクワク感、かわいい彼女欲しい感など)、無理やりにでもモチベーションがおこるという点ではやっぱ危機感って結構普遍的だと思っている。

では、このように難しいVISMOOTという課題に学部生という段階で取り組むことで、どのような効能があるのか。ここで大事なのが、魔界としてのVISMOOTという認識である。


2.生存本能を呼び覚ませ

VISMOOTがどのように魔界かについては前節で書いた。ここでは魔界であることがなぜ素晴らしいのかについて書く。まず大学の機能不全の一局面として「学生をやる気にできないこと」として問題を捉え、正体不明のレベルの高い何か(=魔界)と出会うことによって学生は危機感を煽られ・ワクワクしてやる気になるのであり、またそれにより大きく成長するということを書く。

大学で何を知るべきか、何をやるべきかについてはいろいろな意見があるとおもうが、僕の意見は、基本的に自分が好きで熱中できることをやってりゃいいということに尽きる。ただそれが実際には難しく、何が好きなのかわかりませんっていう謎な悩みを持つ学生が一定数存在している。また、やりたいことが何となく仮ぎめ的に見つかっている人でも取り組み方が生ぬるくて、将来まったく関係ない仕事をすることになるというパターンもある。結果として生み出されるのが今の大学の全体的な堕落感、面白みのなさ、あるいは超頑張ってる学生とさようならレベルの学生の2極化という現象だ。これがなぜなのか、について包括的に考えることはここでの目的ではないが、そのひとつの原因として危機感を十分に煽れていないことがあるといえよう。

先に書いたとおりやる気スイッチには様々なパターンがありうるが、危機感をあおることというのはひとつの確実な方法である。そして危機感を煽る簡単な方法は学生を魔界に放り込むことである。自分の知識のおよばないモンスターが潜んでいるやもしれない魔界にふらふらと迷い込むことによって、危機感が芽生え、それによって学生はやる気になり、結果として急成長する。知の魔神の存在を知ることにより、武器も何も持たない野面の自分がモンスターの潜む魔界(社会)に出たらヒドイ目に会うんじゃねーのっていう危機感が芽生える。(あるいは魔神たちがいかにドラスティックに世界を変えていっているかにワクワク感を覚え、必死こいて何かをするってパターンだっていい。)魔界との出会い、つまり正体不明のレベルの高い何かと出会いそれに必死に取り組むことがやる気スイッチのひとつとして確実に機能するというのが僕の経験的な意見だ。

大学受験を想起してもらえばいい。一定程度高いレベルの大学に一般入試で入ったひとは、すでに、模試なんかを受けて自分の全国の学生の中での順位を知って、しらないけどなんかすげーやつらが同世代にそこそこいるらしいということを知るという経験をしたはずだ。それとともに危機感が発揮され必死こいて勉強するもんだからベーシックな能力はかなり鍛えあげられる。それが受験戦争の正の側面だったりする。ある哲学者はこれを樹海と呼んでいる。僕はこれを魔界と呼んでいるわけだ(ダンジョンでも迷宮でもリアル北斗の拳でもぶっちゃけなんだっていいのだが)。

だから、学生を魔界に放り込んで震え上がらせることが大学の重要な役割であるべきで、今の大学に足りていないと思われるものだ。大学がとるとりあえずの手立ては、学者という知のモンスターに出会わせることにより、いやすげーやついるな、頑張ろうかなという気を起こさせようというものだが、概して、学生はそういう見方をすることはあまりなく、将来そこそこ生きるためにいい成績とるためにという視点で授業を見ているので、僕の大事だと思っている魔界効果は発揮されない。VISMOOTが学部生にとって素晴らしいのは、その魔界、しかもかなりヤバイやつ、に間違いなく出会うことになるからである。いかに危機感を駆り立てる装置として機能しているかは、1に書いたとおり。

そう考えると、たいせつな大学の機能(=魔界との出会い)を取り戻す一環としてVISMOOTがありうるように思え、伝統的な法学教育に対するアンチテーゼとして存在しているはずのVISMOOTは、伝統的な法学教育の信奉者から各種の批判を浴びておりそれらが「研究者育成」という目的に照らせばあたっている部分はあるにしても、学生を十分に恐怖のどん底に陥れることができていない現在の法学部のシステムのなかにあって、「学部生を魔界に遭遇させる」という目的に照らせば解決の一手であるという巧妙があるということである。

世の中にはたくさんのモンスターがいるが、とりあえず一体のモンスターに、大学生活の早い段階で出会うことが肝要である。一体モンスターを知っていれば、他のモンスターをある程度相対化してみることができ、新たなモンスターに出会っても冷静に戦うことができよう。たぶん次にはいりこむことになる魔界は、就活とかいう謎の戦いであるが、すでにモンスターにフルボッコにされた経験のある学生はサイヤ人的に戦闘力が伸びているので就活ではエリート戦士になれる(はず)。

となれば学部生に対するアドバイスとしては、覚悟がなくてもとにかくやってみろよ、ということに尽きる。その点、久保田ゼミのシステムはやはりいい。VISMOOTのおぞましさが、入ゼミの段階で見えないようになっているからである。そう、外から見えるのは、輝かしく(?)活躍している諸先輩方の姿と、国際模擬仲裁に出場するなんとなくキラキラした活動内容だからである。不幸への道は善意で敷き詰められているじゃないけど、まぁとりあえずの小さい不幸を乗り越えるだけでひとよりちょっとだけ幸せになれるかもしれないし、いいんじゃねーのってね。

このほど途上国開発における正義および法の支配の役割に関する世界銀行でのカンファに参加していたのだけど、2年前の香港ムートで出会った人が現在アメリカン大学のLLM生として参加していた。ムート・マフィアはその交渉力と馬力を武器に着々と世界侵略を企んでいるようであり、将来大物になる人がたくさん参加しているこの大会で建設的なネットワークを築くことが後々効いてくるかもしれないので、みなさまにおかれてはどんなに疲れていても翌日弁論があっても、ムートバーに繰り出して飲んだくれることもまた大切だよということで本節を結びたいと思います。


3.おまけ:やりたいことってなんすか

やりたいことがわからないという問題に関しては、ホリエモンオタキングの対談でも見ていただければいいと思うが、そこに言及されていない基礎的なポイントとしてひとつ付言しておきたい。

さてVISMOOTが終わって振り返ってみよう。あなたはVISMOOTが好きだろうか、それとも二度とやりたくないだろうか。いずれにせよ、あなたは判断できるはずである。結構な精度で、確信をもってそれが好きなのかどうか判断できるはずである。あなたはもうVISMOOTが好きかどうかわかるのだ。
(学部時代の同期がてしおにかけて指導した後輩にVISMOOTが終わったあげく「ぼくには法律が向かないとわかりました」と言い放たれて愕然としたという笑い話があったことが皮肉にもこのことを如実にあらわしているwwwものの伝え方が大切というのは別の問題ですよね、そういうことは秘めておけばええのだよ)

ここの気付きも結構大切だと思う。何かを好きかどうか判断するためには、そのことにまず結構なレベルでコミットしてみなきゃわからない。その分野で目指されていることや使われる思考枠組、行動準則、その分野にいる先輩の感じとかその分野に参入しようとしている同期の感じ、そこらへんを知って初めてその分野をやりたいかどうかが判断できる。だから、やりたいことがわからないってのは、経験不足、知識不足、つまりは行動不足だと思う。海外に行ったことないやつに海外で働きたいですって言われてもなんてリアクションしていいかわからないし、絵を描いたことがない人に絵を描くのが好きですと言われてもああこいつ頭おかしいんだなとしか思えないのと同じですよね。そういう意味でやる気スイッチを入れることは、結果として「やりたいことがないです問題」も解決しそうな感じがしています。

さて翻って、自分が味見してみたい分野はいくつあるだろうか。そこをまずなんとなく勘でリストアップしてみる。そして優先順位をつけてそれぞれの分野にフルコミットしてみる。いろいろ動いて知ってみる。まず一つ目がなんとなく好きだって思ったら、もう一点突破してしまえばいい(これが今のおれ)。なんとなくしっくりこないなら、次にいこう。そうしていろんな分野をちゃんと味見して、ようやくやりたいことが腑に落ちるんじゃないだろーか。そう考えてそれを就活までに終わらせるとして逆算すると、あんま時間がないことに気づくだろう。だからさ、寝てる場合じゃねえってことですよね。

僕が大学において何らかの形で気づかなきゃいかんポイントだと思っていることのひとつは、世の中にはすげーやつがわりとたくさんいて、そいつらが積み上げてきたものは半端ではなく、社会で意味があることをしようと思ったらそれ相応の覚悟とかが必要だぜってことである。そこから生まれる恐怖・危機意識、あるいは楽観的な人間にとって言えばワクワク感は、努力の糧となりモチベーションのブースターとなる。そうして、学生は変化する。そして自分のしたいことに自覚的でかつ努力をしなきゃいけないとわかっている人間は非常に稀有でこれから必要とされている。別業界の話だが、最後に、貧困解決にとりくむ僕の好きな世銀職員の方の発言を勝手に引用しよう:

「村も会社も政府も世銀も協力隊も、status quoにチャレンジして未来を先取りする個々人が燃えて飛び火させまくることでしか変化を起こすことはできないので、そんなchange agentを見つけて力を貰ったりあげたりしながら一緒に変えて・変わっていく必要がある。」
青年海外協力隊フィールド調査団 実行マニュアルより引用)

これを読んで深く頷けないのなら、まだ世界を変えると言うには早く、とりあえず努力するとこからはじめようってことです。


だいぶ説教臭いなオイ。さて現実逃避はこんぐらいにして、僕も僕で自分の戦いに戻りますww