落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

大人になっていきながらこどもでもあり続けたかったから苦しんだと思いたい、あるいは単に能力不足だったかもという話

相変わらず自分なりのペースで、前進と後退を繰り返しつつも全体としては前に進んでいるんじゃないかと信じれるぐらいには無意識的に気分軽めの毎日を歩んでいます。

このほど、知的好奇心と知的興奮の違いはなんだろうなぁと思うことがあって、すると伊丹敬之著の「創造的論文の書き方」(論文と銘打ってはいるが大学院生に限らず全俺世代に読んでもらいたい名著)の16頁〜に、

知的興奮=面白いと思えるもの=偶発的・事実志向
知的好奇心=不思議と思えるもの=持続的・理論志向

という説明があり(原文は文章解説だったものを勝手に図式化した)、ぼんやりと頭の奥で認識していたことがストンと落ちる感覚があった。何を隠そうこの腑に落ちる感覚を覚えるのが久々というぐらいには知的に凝り固まった生活を送っていたので、無駄に執筆意欲を掻き立てられてしまい、ここにシェアする次第です。


(ここ以降は本に基づく僕の考察で、本の内容に完全には沿ってないよ)

さてこの知的好奇心を掻き立てられる不思議な事象に出会うというのはなかなか難しいものであり、こどもにはなかなか出来ないのではないかと思う。そう、だからこどもは興奮しっぱなしなのである(いやいや…)


なぜなら、ある事実を見たときにその理解の前提となるフレームワークなり理論なりが頭にあるからこそ、それへの矛盾や不整合が認識でき、そのフレームワークなり理論なりの適用範囲が広ければ広いほどその矛盾・不整合のインパクトが大きくなり、持続的な知的好奇心が生まれると思われるからである。


一般的にこのフレームワークなり理論なりは当人の体験・経験に基いて時間を掛けて降り積もるように形成されるものであり、だから年を食った大人は経験に基づきなんらかの好奇心というものをもち、興奮の相対的な魅力が減少するので、一時的な興奮に振り回されることはあんまりなくなる。そう、大人は興奮しないのである(はて)。若くして研究者になっていいイシュー(不思議なもの)を発見している人とかは、人より質及び量で優る経験や読書を通してそのフレームワーク形成を加速させたことにひとつの成功要因が見て取れそうである。


自分の大学の学部時代を今になえって振り返ってみるに、興奮に振り回されていろんなことをやり続けた毎日だったなぁと思う。面白そうだと思って飛び込んだものに運命的な出会いを感じて(いやその衝撃は確かにすごかった)、結果としてなぜだがどうして名古屋大学にたどり着いた。そうして単発的でありえた興奮を構造的に持続させる仕組みに組み込まれ、その興奮は最近になってようやっと好奇心に变化し、ああ俺はこの分野で生きていくんだなという覚悟が相当なレベルで出来上がってきた。


(以下は、これにかこつけた修士論文の個人的な反省会ですので悪しからず。)

ところで、僕はこの変化を恐れた。知的好奇心を駆り立てられるものがみつかると、それに熱中できるのはいいのだが、その熱量が強くなりすぎて他のイシューへの興味が相対的に下がり、ひいては閉鎖的な知的探求に陥ってしまうのではと恐れた。そう、つまらない大人になってしまいそうだった。これはまったくもって論理的ではなくて、今になって思えば、というか実感値としてあるのだが、知的好奇心によってドライブされている中心的なイシューへの探求は同心円的拡大をもって他の分野へどんどん波及されていくようである。


さらにまた僕は、閉鎖的な思考プロセスではイノベーティブでクリエイティブな論文は書けないのではないかとも恐れた。言うじゃないか、複数の分野(片方はだいたいITだがそれに限らない)の接合がイノベーティブな成果を産むと。ろくに調べもしないその妄想に基づき、僕は修士論文の執筆の過程で一貫して雑多な文献を読み続け、凡庸な研究者になるならアグレッシブに攻めて爆死でもしてやれと言わんばかりに、果ては複雑系科学などにどっぷりつかったりしておそらく当時の僕は興奮で目が七色に輝いていたと思われる(これは複雑系科学の可能性を否定する主旨では全くない)。


この二つの妄想に導かれ僕は修士論文に失敗した。大人になりながらもこどもの心を持ち続けたいんだという謎のスローガンに振り回され、肝心なイシューの見極め、論理の精緻化、エビデンスの厳密化などのまっとうな道における深化に全力を注がなかった。あるいは自分のまとめきる力みたいなものを過信しすぎていた。結果として不十分なものを提出してしまった。いかなる裁定が下されるかはわからないが、はて、半年卒業を延期して修士論文をしっかり完成させないとどうもこの気持は落ち着かないかもしれない。無論、修士号がとれてしまったら、失敗を糧にして次、次と進んで行くだけだけれども。

ともあれ、修士論文出しました。