落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

CVSの面白さと不快さと

CVSという学生団体について。内部事情がわからないと伝わらない話なので、CVSを知らない人は読んでも意味が無いです。昨晩なんとなく考えていたことを眠気覚ましに文字化したので、久々のブログエントリに転用というあくどいやつ笑


CVSは、国家を措定し、その中で学生が架空の企業を設立して競争する。国家は財政を管理して、経済をコントロールしつつ、統治者として規制(というか、スタッフ=国家が年長者であるゆえディシプリン教育みたいになることが多い)を課す。そこでは、民主主義に正統性を付与する源泉のひとつである選挙の過程が欠如している。スタッフの選考は、基本的に社会人代表者が行う。つまり国王制に近い。立法機関と行政機関の区別は曖昧になっているので(「憲法」は基本的に変更されない)、神による統治と言ってもいい。経済は資本主義を措定している。学生はフォーマルなルールに則って競争する。限定的にルールへの異議申立てはできるが、レガシーを伴っているルールの変更は実質的にはできない。神とスタッフが伝統を強調するのはそのせいだ。お金が絶対化され、学生は億万長者を目指して競う。学生に社会の縮図を効率的に体得させる上で非常にうまく設計されている。スタッフへの風当たりが強いのは、選挙がないことも原因のひとつ。選挙しろというのではない。面白いのは、選挙のあるなしに関わらず、スタッフのデキがよければ批判は出ないということ。このように、統治の正統性は、プロセスではなくアウトカムに依存しがちである。中東で正統な国家を建てるにしても、Due Process推しは大事だけど、兎にも角にも経済成長だよというのはこういうことだと思う。ちなみに、実際の世の中は、正しいことが何かがわからない問いも多く、誰がコントロールしてるかさえわからない部分も多く、だからこそもっと難しくもっと面白く、同じ「資本主義」でも違う論理が必要だったりする。


ところで、CVSがなぜ気持ちわるく感じたのか(筆者の個人的感想ですので悪しからず)。 謎の不快さの源泉は、多様な価値観を許容しないところだった。期間中、ビジネスライクな思考方法への洗脳を行う。それ以外の世界の存在は度外視する。参加中の学生は、ご褒美目当てに必死で競争している。立場が固定化されているから、プログラム中に「普通の」会話が開通しない。洗脳状態である。例えば、ご褒美がくだらないということや、競争内容がショボいということは、(思ったとしても)タブーである。そして、学生は洗脳に気づいているが、全体として洗脳に触れることが出きない空気感があり、かつ触れるメリットもあまりない。結果、プログラム終了後、それぞれの人間のスキルや思考方法のクセ、チームでの動き方はわかるが、それ以外の人となりは何一つわからない。言い換えれば、立場を無くした上での生身の人間像が見えない。そこが不快感の源泉だった。だれかニーチェを標榜して神は死んだとほざいてみたり、あるいはアラブの春に憧れて国王を追放してみたら面白い。そのとき、「国家」はどう動くのか。ちなみに、その洗脳状態は、ハイコンテクストな会話を可能にするという意味で、心地良い。それはそれで、悪くはないよね。ムスリム国家のあの団結力とかは、つまりそういうことじゃろうか。


そしておそらくメキシコ人とうまくいかないのは、この本質がうまく伝わっていないからだと思う。世界観が一種のテーマパークで、みなは白昼夢を見ながら大きく成長しているんだよというコンセプトだというのを、共有しないといけない。特にメキシコプログラムはホームステイを組み込んでいるから、その本質が表面化しにくい。きっとそれがひとつのハードルなんだと思う。そしておそらく、解決はだいぶ難しい。

イラッリカー!