落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

世銀インターンが終わった日の急に始まった人生振り返り

人生はドラゴンクエストの進化版だ。小さい努力・経験を積み重ねていって自分のレベルを上げ、目的を同じくする仲間と運命的な出会いを果たし、戦闘というプロジェクトでは助け合い、そして最終目的を達した後、道連れに出会った人と感動的な再会を果たし喜びを分かち合い、本当に大事なものは旅の途中にあったと気づく。なんと素晴らしい、ドラクエのような人生を送りたいと子どものころから思っている。そして進化版と言ったのは、人生の場合、目的を自分の好きなように選びとることができるからで、なおかつ目的をひとつに絞らなくていいからだ。蛇足だが、全滅してレベルが下がるのはドラクエの良くない(面倒くさい)ところで、かつ人生と異なること。人は全滅するほとのスゲー挑戦をして失敗すっから、成長するんだ。全滅したら、レベル、10ぐらい上げといてよ。

このドラクエ思考は、人生観のひとつでありつつ、モチベーション管理の方法でもある。勇者に課される必要な試練だと思って、いつか最強になることを目指し、とにかくまじめにやっていくこと。ゲームを心に宿している、新手のゲーミフィケーションか、あるいは、三井寿がスラムダンクで至った境地である、「もう一人の自分が今の自分を客観視している感覚」か。そうして、ヤバイ、とおもった時に、目をつぶってしばらく落ち着いて、人生の目的とサクセスストーリーを思い描く。一呼吸して目を開けると、やる気に満ちた自分が帰ってくる。強い敵と遭遇した時の、あの独特の興奮が迸る。いかに失敗しようと、カッコ悪かろうと、必死に走っていれば、わかる人はわかってくれている。仲間は見ていてくれている。



私の人生の目的と、今までの歩みの話、世銀でのとりあえずの締めくくり、延長線への橋渡しまでのストーリーが、なんとなく今晩、頭を駆け巡って離れないので、書いておく。


大学の終わる頃、気まぐれである哲学者の講演を伺いに行ったとき、現象学の話をされていて、それ自体は意味がわからなくて哲学者ってすごいなと思っていた。その話のなかでひとつだけ、「魔界との出会いが人間を大きく伸ばす。」とおっしゃっていたのが、なぜか頭に焼き付いた。魔界とは、本人の理解レベルを超えた世界を意味していて、平たい言葉で言うならば「上には上がいる」と知ることが人間を大きく伸ばす。ということだったんだと解釈している。

それがなぜ自分に突き刺さったか。それは、それまでに自分も2回、魔界に出会っていたからだ。そして、ラスボスの居城に立ち入った井の中の蛙なドラクエ6の勇者のごとく、見事な挫折をした。一回目は東大受験に落ちたこと、二回目はVIS MOOTという模擬裁判の世界大会で海外の弁護士の卵と戦って敗北したこと。そしてその二回の挫折の間に、ひとつやってはいけない失敗をしている。僕の学生生活の真面目属性のダークサイドのハイライトは、これらだ。

高校の頃は学校内でもかなり上位の成績にいたし、模試の判定も悪くなかった。模試でちらちらと上位の人の成績を見るときなど、人間業じゃないな、と思っていた。そして本番、見事に一点差で不合格。そのときのがっかりした父親の顔は、今も時折思い出し、心がずっしり重くなる。二回目は模擬裁判の世界大会。これは実は二度参加し、一度目はやってはいけない失敗をして、本当に人生を放棄したくなり、しかしここで諦めたら試合が終わってしまうと、二回目挑戦し、人生二度目の挫折を味わう。

この二つの挫折について。僕は最初の挫折で、自分の限界を悟った気になった。天才だと思っていた自分がいかにイタい存在だったか。僕は高校時代、ろくに遊ばず、部活と勉強だけに勤しむJack Dull Boyだった。「遊べない自分」に劣等感を感じていて、でも成績が1番付近であることが取り柄だった。その取り柄を見事に失った自分。大学に入って2年、見事にふぬけて、良く言おうとすれば新しい自分を探そうとして、楽しい飲みサークルに入って一発芸をしてスベって自分ってなんなんだろうと悩みつつ、でもそんな不安定な時代を楽しんでいた。

やってはいけない失敗がやってくる。それは、模擬裁判の世界大会。この、聞いただけで惚れ惚れするような大会に望んで、あろうことか僕は準備・練習で手を抜いた。挑戦しないこと。最悪の失敗だった。そのとき、大事な一人の友人が、そんな僕をなあなあで扱うことなく、「それではダメだ」と面と向かってはっきり言ってくれた。不安定な時代でぬるま湯に使っていた自分に喝を入れてくれて、最後の土壇場でスイッチを入れてもらった。結果、追い込みをみせ、チーム内では割りと良い点数になったが、それが逆に嫌というか、テストでだめだったのに「よくできたね」と真顔で言われたときに似たあのモヤモヤとした不快感に包まれ、プロセスに最悪の後悔を抱えて、トラウマとなる大会になった。同じ失敗だけは二度とするまいと誓い、トラウマを抱えつつも、だんだんと自分のギアを高めていった。

これで真面目になりだした自分は、ドラクエでいうラスボス、つまり生きる目的を探していた。大学という自由な環境にあって、無数の授業、無数の課外活動を前に、全く選択基準を持たない自分にそこで初めて気付く。高校時代までは「親にやれと言われたから」勉強をする子どもになり、成績がよくなり、それはいつしか「親を裏切りたくないから」勉強し続ける自分になっていた。親は、僕が幸せになることを望んでいるのであって、僕の成績が良いことを望んではいない。しかし、勉強しろと言われ続け、勉強を自分でするようになるとそこから新たな指令を親から拝受しなかった自分は、「勉強しろ」が決定的なメッセージなのだとナイーブに考え、成績を高く保つことが親の最大の希望と誤解していた。そして、第一の挫折。合格者掲示版の前で見た、失望した親父の顔。その後家に遅くに帰ると、なぜだか急に老けたように見えた親父の顔。それからなんとなく部屋に篭もるようになり、両親と会話がなくなり、飲み会やサークルの楽しさから遊ぶ楽しさを覚えた気になり、遊べない自分の劣等感を払拭できている快感を感じ、初めての恋をして、いつしか刹那的で享楽的な生活に陥り、親父にガキの頃から聞かされ好きになった吉田拓郎フォークソングは、自堕落な自分を「それでいいんだよ」と肯定してくれているように思えていた。

そんなときにやってきた、やってはいけない失敗の経験。目を覚ました自分。生きなきゃ、と思った。そして最大の弱点に気づく。目的意識のない自分。成績だけが取り柄で、親の期待に応え、東大に落ち、親と絶交し、享楽に走っていた自分。確かに今振り返ってみても、目を覚ましたところで、人生でやりたいこと、とかが自分の中から生まれてくるはずがない。空っぽの自分。ゼロの自分。本当に焦って、恐怖を感じた。だって、それはすでに就活の時期だったから。もう、どうしていいかわからない。その時、親友が勧めてくれたのが、バングラデシュに渡航するGCMPというプログラム。

衝撃だった。グラミン銀行のネットワークを活用して辿り着いた本当のボトムオブボトムと呼べる農村地帯。最初は本当に、何が起きているかわからない。子どもたちの生活。その農村で生まれてから死ぬまで過ごす生活がある。この世界には、これで生活をしている人がいる。そんな人たちが、日本から来た自堕落な自分に語りかけ、でもその話す話とかは普通で「きのう学校でこの授業受けたんだよねー」とかいう話だったりして、その状況全てが、どういう経緯を経て、どういう仕組で、どういうワケでそうなっているのか、何もわからずフリーズして、ただただ、茫然とする。僕に語りかけるその若者の目が、なぜかどうも見ることが出きない、でもすごく見たい。そして数日後、頭の整理が付いてきて、ふと気づいた、その若者の目の黒さ。これは錯覚かもしれなくて、でも僕の中では真実で。僕も勉強しないでバングラデシュに言ったわけではない。いわゆる、貧困の罠の議論も知っていた。そして目にした現実。だんだんと自分の中で融解して混ざり合い、そして出てくる「わからない」という結論。なんなのか、わからない。貧困の農村の方が幸福度が高いという議論、先進国の人々と出会ってしまうことが決定的な不幸を産むという、一見してもっともらしい見解。でも客観的に状況を見たとき、その若者から奪われている可能性の芽。そのせいか、黒く見えたような気がした目。結局、何をどうしなきゃいけないか、わからない。でもそんななかで、寝れない夜が続いた中で、熱でぶっ倒れたりした中で、でも最後の最後、村のみんなにバイバイを言うときにはだんだんと自分のなかで生まれてきていた答え。「なんとかしなきゃいけない」。この複雑怪奇な世界の難問、いっちょ、腰を据えて取り組んでみようじゃないか。そう思った理由は、後から振り返るとたぶん二つ。農村の若者たちに見えた可能性、それへの恋、あるいは裏返しとしての「機会の不平等」への宛先の無い怒り。世界の現実の一端を見たという感覚。そしてもうひとつは、腑抜けていた自分に生きる目的をくれた、若者への、農村への、バングラデシュへの、感謝の気持ち。

目的が決まった。途上国開発だ。さて自分に、なにができるか。それから、自分のやりたいと思えることに素直に、初めて自覚的な選択をするようになり、悩みながら考えながら迷いながら批判されながら(特に、世界大会の件で素直にダメだと言ってくれ、バングラデシュを教えてくれた親友に批判されたときは堪えた。そのときは、今に見てろと思って、すこし沈黙した。)選択を積み重ね、時を経て名古屋の大学院生になった。そして、開発界をリードする、世界銀行に行く機会を得た。(経緯)

とその前に、第二の挫折。やってはいけない失敗をしたVIS MOOT。この後悔を払拭するために、また一方で、曲りなりにもまじめになってからもう一年生きた自分の実力を試すために、そして後輩にひとつでも多くを伝えるために、4年生でも参加した。結果は、挫折。本気で本気で本気でやった上で、なお届かなかったという挫折。ハーバードロースクールを相手にした香港での、学生生活最後の弁論。わがままを言って、自分のやりたい立場で(原告と被告を選べる)、わがままを言って自分のやりたい相手とさせてもらった弁論の試合。掛けてきた時間のすべてを解き放って、主張した。ハーバードの弁論は、下手に見えた。相手の弁論の骨子はわかり、的確に批判した。仲裁人の質問にも、しっかり答えた。フィードバックも、あえて時間を鑑みて戦略的に弁論から削ったとこを言われたので、予想の範囲内で、それは仲裁人の好みだと言い切れるものだった。そして、開示された低い点数。そのとき、頭をかすめていた記憶が蘇る。

弁論の最中、唯一わからなかった部分があった。それは、仲裁人がした1つの質問と、それへのハーバードの回答。英語は聞こえた。しかしその質問の意味がわからず、なぜそれを聞くのかとさえ思えた。それに対してハーバードの回答は、「意味がわからなかった」。なんで、その質問に対し、そう答えるのか、謎だった。謎だったから、失敗だろうとして、放置した。そして点数を見て、蘇る記憶。仲裁人の人にメッセージを送り、その質問につき聞いてみる。教えてもらい、そのやりとりの概念的な深みをようやく悟った。そしてさらに寒気を覚えた。それは、自分が気づいたその違和感のあったやりとりは、それが唯一僕の理解を超えた部分というワケではない、ということ。合理的に考えれば、それはおそらく自分の能力の限界点を示しており、他にも「僕が気づきさえしない洞察のある議論が含まれていた」。こう考えるのが筋だろう。仲裁人の友人は、それ以上はあんまりないと言っていたが、その方は3人のジャッジの中で一番の若手だったから、他の2人のジャッジがさらに高度の議論をしていた可能性があり、ハーバードが勝ち抜いているのをみると、そのレベルにハーバードの学生は付いて行っていたということになる。

魔界だと思った。レベルの差が認識できない次元の違い。上には上がいる。それも、階段のひとつ先とかじゃなくて、宇宙までぶっとぶレベルのやつがいる。自分の生きている世界は、そういう世界。国と国とが繋がって、世界中の同世代が直接競争するようになる、そんな世界。つまり、この魔人が相手。なんだよ、とおもった。どうすんだよ。もともとのポテンシャルに差がある気がするし、腑抜けた時期もあった自分に追いつけるのか。その暗い悩みの中で選択していった、名古屋大学の法学研究科という道。出した結論は、迷いながらも、直観に従い、先達の意見を聞いて、最善の策を繰り返すことしかできないんだという当たり前のもの。自分を支えたのは、バングラデシュが、それから書いていないけど南アフリカとミャンマーがくれた、人生の目的。



さてさて世界銀行へ。世銀にて、第三の挫折を味わい掛ける。味わい掛けて、持ち堪えた。心はぐちゃぐちゃになりそうだったけど、それでもこの情熱だけは同じだぞという一点をもって、なんとか粘って可能性を持ち続けた戦い。単純な話で、世銀でリサーチをした、そのリサーチが箸にも棒にもかからないという話。敗北感。会う人会う人の、圧倒的な知識レベルと思考速度。その中で最大の収穫は、「世界銀行を出る前に敗北感を乗り越えることができたこと。完璧な挫折にならず、折れる直前で持ちこたえたこと。」どうやって持ち堪えたのか。一ヶ月半の滞在で、ペーパーを書くレベルが世銀レベルまで向上する訳はない。どうすればいいか。たどり着いたのは、「延長戦」の交渉。交渉とはWin-Winを目指すものだという交渉学の哲学を思い出し、自分がやりたいのは世銀でなるべく多くの人に会ってインスピレーションを得つつ、今できる自分の最大限の貢献をし、かつその貢献を形あるものとして結果に残す。最後の点は具体的には、世銀の上司にアプローバルされた岡野が執筆した書面として、世銀のストックに残し、関連分野の方に読んでもらえる状態にすること。それに対して世銀のスタンス、タダでやとったこの若者がどうなろうと構わないのだけど、仮にラッキーパンチでも中身のあるペーパーを出してくれたなら儲けもの、というものであるはず。そうだとしたら、交渉のテーブルに出すのは、仮のペーパーを提出し、キープインタッチして大学に戻り、時間を掛けてでも中身のあるものを完成させて再提出すること。大学に戻って時間を掛ければ、俺だって。英語は、名のある文献から同じ型の表現をいちいちパクればいいんだ。

そう思い立ったのが終了一週間前、まずはジャブを放つ。あまり遅くなりすぎるのは困るという上司。なぜかと聞くと、それはプロフェッショナルじゃない、とのこと。100%正しい、困った。そうですか、と言って戻って戦略を練る。必要なのは、現在あるペーパーに少なくとも可能性の片鱗を魅せること、さらに帰国後も確実にコミットして提出に漕ぎ着けると説得できる何かを出すこと、最後に熱意だ、と思った。それ以外は思いつかなかった。

最初の点はカバーする文献の数で勝負だ。作業時間を、単純に最大化する。実はこの点は、延長線ミッション開始前にも意識していて、低い分析力と少ない経験と浅い洞察は、物量でカバーじゃ!と思ってひたすら目を通す文献数を増やしていた。それと、「人となるべく会う」を両立する厳しい戦いだったが、なんとか持久した(途中で生産性が落ちる時期は正直あったが、完全ダウンは厳禁だと直感して、思い切ってしっかり寝たりした。ストレスなのか心労なのか、しっかり寝たのに疲れが取れない時は、連日になろうと寝て負荷を調整し、しっかり一定のバリューを保つことを意識した。)。

二つ目及び三つ目のために、世銀の将来の学会をネタにした。11月に世銀で法と正義と開発についての一週間にあたる長めの学会があり、授業があるし航空費もしんどいので行かないつもりだったが、これに行くことにした。僕がやってるリサーチ2つのうち1つは、その学会向け研究プロジェクトの片割れだった。この11月の学会に行く。今は9月後半。これで、相手のBATNAは分からなかったけれど、自分のやれるスピードを考慮し、10月中旬に提出でどうかと提案することにした。ボスに会う。自分の世銀のプラクティスへの理解と共感と批判を伝え、今後の世銀の動き、特にScience of Deliveryについての自分の見解を語る。この文脈とダイナミズムを最近ようやく理解したと伝え、これを反映してペーパーをしっかり仕上げたいと熱意を伝える。11月の学会を見据え、それまでに確実に完成させ世銀に舞い戻ってきてディスカッションしたいと言い、10月中旬を提案する。

少しの沈黙のあと、了承の言葉。それから涙が出そうになる、インターン後もドラフトを出すたびにピア・レビューをしてくれるという言葉。そして、本当に泣きそうなぐらい感謝でいっぱいだった、最後の最後のレクチャー。僕にとって教授として出会ったボスは、最後までやっぱり教授だった。この最後の最後のレクチャーについては、また別稿で書きたい。幸せな時間。世界が静かで、でも自分とボスだけ奮い立っている、そんな感覚。そんなこんなで、延長線が始まった。まだまだ忙し楽しい人生になっていきそうだ。

彼我の実力差は厳然たる物で、敗北感は残っている。それを乗り越えたと思えるのは、その環境と自分の実力を見比べて考えられる最善策を弾き出した感覚。誰に相談しても、それは無理だと思うと言われたことを交渉してみたという、海外でたぶん必要なワガママさ。確かに時間通りに完璧なペーパーを出すのがプロの仕事で、まだプロになりきれなかった自分の弱さは真正面から見つめないといけない。その自分の現状の弱さを噛み締めて、でも最大限の結果を残すために、普通のコンテクストをちょっとだけ破ってみたこと。世銀に対して具体的な成果を残したいという、最初から持っていた目的を首の皮一枚で延長戦につなげたという意味での限定付きの「結果」。うん、まぁ、100点じゃないけど、悪くもなかろうと。そう思うわけです。らんま1/2じゃないけど、ここから先は「延長戦」。もうちょっと戦い続けます。