落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

法整備支援キックオフセミナー@慶應大学 トピック整理

2013年6月15日、慶應大学にて法整備支援に関するセミナーがありました。この分野で活躍する第一線の実務家・教授がいらっしゃって、お世話になった人もたくさん来るというので、帰省がてら参加してきました。

慶應大学の運営の学生たちが頑張ってくれたおかげで、去年に比べて学問的に深みがある充実したものでした。うれしくてつい二次会企画したほどです笑。去年のこのセミナーからすべてが始まったことを考えると、感慨とともに焦りが募ります。1年って早いですね。あっという間に年をとってしまう。先生たちのお話も素晴らしく、身が引き締まる会となりました。

 

前置きが長くなりましたが、本セミナーでは法整備支援論における重要なトピックが提示されたので、ここで整理しておきます。セミナーの議事録も作成されるということなので、セミナーの全体像はそちらで確認できます。ここでの整理は、僕の頭に引っかかった箇所に限っています。ちなみに、法整備支援ってはじめてきくぞコラってかたはまずはこっち

 

1 日本の法整備支援のやり方 法整備支援評価学

日本の法整備支援はバランスのよい体制が整っていると考えています。JICA・国際協力部が主要なドライビングフォースとなりつつ、名古屋・慶應・東京大学等の学会、日弁連などのNGOが参画しています。各アクターにそれぞれのポリシーがあり、考えながら・議論しながら進めています。それは、世界に共通するベストプラクティスというものが存在しないなかで、現地の人に寄り添いながら頭を絞ってやっていくというひとつのJapan Wayをみせていると思います。

LLS&Vとの愛称で有名な「政府の質」に関する論文で、コモンローがフランス法よりも経済発展の観点からみて優秀、という議論が提出されました。それは大変な反発を呼び、もう反証されたようです。それ以降も一部の法整備支援アクターは実務では、いわゆるGood Governanceを目指して法整備支援事業が行われ、その指導原理は、アメリカやヨーロッパの法律体系に新興国もできるだけ近づかなければならないという近代化論にかなり近いものです。だが果たして、それが本当に正しいやり方なのか。裁判所の制度を導入したものの、土着の紛争解決手続きと対立して、全く使われなくお金の無駄遣いに終わったという事例もあります。

欧米の制度が、人権保障や経済政策の面で成果を発揮していることは間違いないです。そして、新興国の最大の関心事も経済成長であることも疑いないです。一方、相手国の方針に寄り添うという日本のやり方は、感覚的に正しく聞こえますが、それが具体的な成果を生んでいることが実証されたわけではなく、「現地の人にすごく感謝されたんだ!」などの声があるに留まっています。日本の法整備支援事業は、世界での知名度が低いです。これは、日本の学会の英語での発信力の弱さというのもありますが、その背景に、日本のやり方の合理性は証明しにくいということもあります。

この問題意識が発展すると、法整備支援の評価学が必要という認識に至ります。制度として何が正しいかということを、理論ベースではなく実証ベースで示すためのデータをどのように集めるのかを考えるのです。僕はこの分野の最先端の議論は追えていないですが、各機関ともそれぞれの評価方法を採用して、自らの事業の正当性を主張しています。これは学問的・理念的な意義だけではなく、日本の文脈で言えば、税金から法整備支援分野へのODAを拠出することを説明するために必要な、実践的意義もある論点です。

 

2 環境保護と経済発展は調和するのか?

地球温暖化防止に向けて国際的な足並みが揃わないのは、なぜ先進国は石油や石炭をばかすか燃やして経済成長を遂げたのに、新興国はそれを制限されるのかという対立があるからです。この問題は、政治的なバランスも絡まったより複雑で解決の難しいものです。それは法整備支援の射程外でしょう。法整備支援の射程内なのは、新興国が環境保護法制を採用することを決めたり、被害者を救済するプロセスを構築しようとしたときに、それを経験に基づき助けることです。

中国の大気汚染の加害者は誰でしょうか。また、被害者は誰でしょうか。被害者を救済するにあたり、どのような補償の方法があるでしょうか。金銭賠償をするなら、それはどのように計算されるのでしょうか。救済のパターンとしては、不法行為の法理を用いた救済方法(日本に見られる共同不法行為の考え方)や、行政訴訟での救済(モンゴルでうまく機能しているそうです)、また事前のファンドレイズによる裁判手続をとらない救済など、いろいろと考えられるでしょう。どれがいいのでしょう。

厄介なのは、環境問題は長期的な視点が必要となることです。市民が政府に求めるのは第一義的に経済発展で、それを抑制するような環境保護政策は、国会議員はその政策を取りづらいのです。なぜなら、環境政策を強調しすぎると投資を抑制してしまい、次回選挙での落選可能性が上がるからです。長期的には環境保護政策は経済効果もあるのですが、これは実証的に強調しづらいので、なかなか難しいです。このように政府が身動きを取りづらい政策分野に関して、どのようなアプローチで立法を促し、規制を実質化していくかが主要課題です。

 

2−1 立法の促し方

Legal Transplantという学問分野が比較法の一分野としてあります。法の移植と翻訳され、古典的には日本でのフランス民法継受の過程などを分析し、同じ法が社会によってどのような現れ方を見せるかを比較したりします。その分野の派生として、環境ISOがCode of Conduct(行動規範)を介して新興国企業に浸透し、それが政府の立法を促したという事例がありました。

中国に多くの企業が進出するにあたり、進出していく企業は著名なグローバル企業で、評判維持のために、世界基準でのコンプライアンスが必要でした。環境ISOを尊守しており、その要求事項にしたがって、現地の下請け企業と契約するときにCode of Conductを盛り込み、現地企業にも環境基準の尊守を促しました。それが次第にビジネス界の常識として浸透し、環境をないがしろにする企業は名声を保てない文化が浸透しました。そうすると政府も環境政策をとりやすくなり、実際に中国で立法がなされたのです。

これは比較法の分野では、多国籍企業が主導したLegal Transplantとして注目され(Transplantなのは、立法の内容が標準化機構が設定したISOに近似したから)、もはや法律を作っていくのは一国政府の役人だけではないということが再認識されました。

 

2−2 規制の実質化

官民協働(Public Private Partnership)で規制を行うという共同規制の考え方があります。共同規制は環境問題以外にも、例えばインターネット上の規制でも使われます。それは、インターネット上でのあるべきルールは、インターネットを一番使っている当事者が一番わかるのだから、彼らが自主規制ベースで規制の方向性を規定して、それを政府が後ろからサポートすればよいという考え方です。途上国の環境問題という文脈では、むしろ、政府の実行力不足も共同規制の根拠にあげられます。政府が環境法制を実行する力がない、例えば、各企業の各工場を監視することができなかったりする。

このような場合に共同規制アプローチが用いられます。その一つに自主契約というものがあります。Voluntary agreementの翻訳です。政府が監督しきれない代わりに、企業が自主的に自分の環境保護政策を信頼出来る第三者機関等に作成してもらい、目標を設定し、それを尊守するという契約を政府と結ぶのです。そして企業がその契約を履行したら(汚染水排出量削減等の環境保護に成功したら)、政府は代わりに企業に「お墨付き」を与えます。それを企業は名声を上げるために利用することができる。このアプローチは中国やブラジルなどで取られていて、実際にうまくいったという実証研究も多いです。なおその実証は基本的に、自主契約を行った企業の数が大きいことで行われています。

これらの共同規制アプローチももう少し考えてみたい分野です。本当にこれでうまくいっているのでしょうか。例えば信頼出来る第三者機関ですが、本当に信頼出来るんでしょうか。そして、官民協働と言えば聞こえはいいですが、日本でそんな話をすると鉄の三角形が頭をよぎるでしょう笑。実際にこのアプローチが新たな腐敗を生んだというニュースがあったりして、ああなつかしの談合がまた笑、などと。(しかし談合も頑なに否定はできません。下請けの下請けの下請けの…従業員の方などはあれが無かったら食いっぱぐれて死んでいたし、あのおかげで素晴らしい道路が整備され高度成長が支えられたとも言えます。)

 

3 国の主権はどうあるべきか

ここから先は、セミナーでは語られなかった論点で、なおかつ僕も思っただけで専門外というひどい部分なのだけど、近々調べよう思うので、メモ代わりに随想をかいておきます。法整備支援は主権侵害ではないです。なぜなら、相手国政府の要請に従って、相手国政府に頼まれた範囲で国の統治に関わる指導を行うからです。ところで、主権の侵害というのは何なのでしょうか。たとえば、国の中で迫害されている人について、外国政府が介入して救済を行ったらそれは主権侵害なのでしょうが、そもそも主権は人権を上回って大切なものではないはずです。ホンジュラスCharter Cityというプロジェクトが始まりそうになって頓挫しましたが、頓挫の理由のひとつがホンジュラス最高裁による「主権侵害」の判断だったと思います。あれ、面白そうだったのに!この文脈で言えば、政府が承認してJICAが司法改革プロジェクトを進め、司法腐敗の温床を取り除こうとしたときに、それにイラッとした裁判所が違憲判断を下すとかもありうるはずです。根拠は司法介入になるのでしょう。ここらへん、ちょっと勉強してみようと思ってます。

 

こんなとこですかね。なお、以上のはなしが本当かどうか気になった人はぜひ検証してください(レファレンスないけどw)。間違いに気づいたら教えて下さい。

セミナーで語られた論点は上記に限られず、他には、貧困層や社会的弱者の司法アクセス向上、欧米法と慣習法との調和、土着民の所有権、児童労働等の社会問題へのアプローチ、人間の安全保障、汚職対策などがありました。

 

統治形成の過程は、歴史を振り返ってみても血塗られたものが多く、先人の知恵と勇気、また犠牲から生み出されたのが今の体制です。日本が法整備支援の主体として価値を有する理由として、日本的なやり方、日本人の勤勉さ、日本の高度成長の歴史が言われますが、もうひとつ価値あるものとして、いわゆる革命を経ずに体制移行を行ったということがあります。ただし、そのプロセスも単純ではなく、全く犠牲がなかったものとも言い切れません。日本の経験をしっかりと踏まえながらも、現代の文脈に沿った統治構造を協力的に作れるか。まだまだ先は長そうですが、急いでやっていきたいです。機会不平等のない社会、みんなに頑張り甲斐がある世界になるといいです。