落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

法整備支援という道を選んだ理由 3つの仮説

前のエントリでロースクールから早々に転身することの言い訳めいたことを書いた。少し付言するならば、セレンディピティを大事にしたいということだ。僕はロースクールに入ってから実際かなり迷っていた。法の解釈運用をしつこいほど練習するその教育方針は、確かに日本の現況の法曹界に参入する人材にとっては妥当なものなのだけど、その訓練を最低でも正味3年することのリスクが拭い切れなかった。身を立てることはできるけれど、僕の人生の目標(ざっくり言うと開発)からは果てしなく遠のくのではという意味でのリスクだ。そして何より問題だったのは、そのリスクをとった学習を楽しめず、かつ割り切れもしない状態が長く続いたことだ。そんな折にアンテナに引っかかったのが名大のプロジェクトだった。これをとりあえず運命と考えることにしたってわけだ。

 

閑話休題

なぜ法整備支援を目下の目標に据えようと決断できたか。そして、なぜ法整備支援を志すにあたりロースクールに居続けることではなく名古屋大学へ移籍する決断をしたか。それは心もとないことに、3つの仮説にしか基づいていない。

 

1.良い統治なくして持続的発展なし

概括的に言うならば、ある開発途上国に投資するかどうか考えるときに、その国の政府が例えば汚職にまみれていたりする場合、今までの国際社会の対応は、何もしない、体制が改善されるまで援助を差し止めておくというものだった。しかし、政府の悪体制を理由にして貧困や人権侵害を放置してよいのだろうかという疑問が起き、政府体制も援助により改善されうる対象なのではないかという問題提起がされた。僕はこの方向性を信じている。さらに積極的に、投資を有効に途上国の最貧層に届けるためには、そのための仕組みを作る以外に方法はないと信じている。

 

2.法律もグローバルスタンダードを考えるべき時代

例えば日本の民法は、今世界基準に近づけるための改正の只中にある。途上国の法制が整うほど、企業はその国での事業を展開しやすくなる。ここで、「整う」とは、欧米式に近づくことを意味する。ビジネスのボーダレス化は法律の統一を求めている。どの国で事業をするにしても、同じ法律が妥当するという世の中ならば、ビジネスは今よりずっとやりやすくなる。(もっともこのようになると既存の各国法曹が食いっぱぐれてしまうが。)そんな法律の統一の第一歩に、今の世界はある。これから途上国で生まれる法律は、将来そのようなグローバルスタンダードを構成するための一要素である。その法律づくりに携わっていく入り口のひとつが法整備支援だ。

もうひとつ忘れてはいけないのが、法律には統一されていくべきものと、国ひとつひとつの特色を表現すべきものがある。国籍変更がどんどん簡単になっていく時代にあって、どのような国に住みたいかを人々は主体的に考えるようになる。そのときのひとつの考慮要素として、国の仕組みは国の特色を表現する手段として認識されてくる。それだから、世界○行さん主導の押し付け型法整備支援とかには任せておけないのだ(又聞き情報がソースなのでこの点はなんとも言えませんが。)。

 

3.単なる法曹は、法整備支援の全体像を支えることはできない

このような法整備支援を進めるならば、法の解釈運用の知識は必要ではあるがそれが全てとはいえない。法曹になった人材に、開発途上国の人々が「日本の高度成長期にはどのような法律が機能したのか」と質問したとして、誰が答えられるだろうか。

しかし、ではどのような知識が必要か、となると、僕にはまだわからない。法律に加え、ガバナンスと政治経済学と、その周辺の知識とか適当なことしか言えない。たぶん、それはまだ誰も正解を知らないところだ。法整備支援後のモニタリング研究がその一助になるだろうが、それは僕の大学院での研究課題のひとつだ。

 

 

実は、この3つの仮説を実証研究していくことが僕の大学院での主要な課題となっている。志望動機が正しかったかどうか入ってから研究するというのも馬鹿な話しだが、踏みならされてない道を行くというワクワク感に身を任せて行こうと思う。図らずも法整備支援のメッカである名古屋で学べるというのは、幸運という他ない。ロゴはダサいけれど。