落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

エジプトきたよ イトニーン

きたないはなし、エジプトに来てからお腹の調子がかなりわるいです。ヨーグルト食べたりいろいろしてるんだけど、どうも、こればっかりはいつも海外きてしばらくは治らないんだよねぇ。エジプトはそれが特に長いような気がする。先日現地の日本人で集まって生姜焼きとか照り焼きを作ったあと、お腹の調子が若干良かったので、これはと思い自炊を始めました。エジプトはなにげに野菜とかフルーツがめちゃうまいんです。今度から、海外には料理酒と簡易まな板も持って行こうと思います。なんで外国人はなんでもかんでも手の上で切るん?トーフじゃないんだからさ。

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タイトルにあるワーヒドとかイトニーンは、エジプトで使われている数字の1,2の読み方のこと。数字といえば、ローマ数字があのVが5でXが10だったりするややこしいやつで、漢数字が一、二とかを使うもの、アラビア数字が僕らがいつも使っている123って数字だけど、これはアラビア世界からヨーロッパに輸入されたからこういう名前になってて、その際にちょっと変化して今の形になっている。だから、いまエジプトで使われているアラビア数字は大元のやつでもっと別の形をしていて、٠١٢٣٤٥٦٧٨٩って感じ。最初は読むのがわりと大変。いまのアラビア数字とちょっとしか似てない。


カウントしてみたところ、僕は15カ国の国を訪問したことがあるらしい。中にはバングラデシュやアメリカやオーストラリアや南アフリカなど、比較的長期でいて愛着のある国もあれば、ミャンマーなど短期でいただけであまりまだわかってない国もある。ただひとつ言えるのは、旅の経験を経ていくことで、旅行先の情報を仕入れて順応していくスピードは格段に早くなっているということ。特に今回のエジプトの旅では、最初の3日ぐらいでいろいろなストーリーが巻き起こるとともに、一般的な交通機関に順応し、道を覚え、現地に顔見知りがたくさんできて、一週間ほどが経ったときには学校いって自炊してという普通のルーティンが築かれていて、コミュニティもできて、順調に運んでいるように思われる。エジプトって国はゆーて結構便利で、どちらかと言えば順応しやすい国な気がする。


それでもエジプト最初の数日はなかなかストレスフルで、人を信じるってこと、あと個人の力の限界についてすごく考えさせられた。そのことについてすこしメモ。


一般的に言って、海外で初めて会った人は誰も信用しないのが正解だとおもう。日本では、自分が日本生まれということも大きいと思うが、初対面の人でも、ある程度の道徳感覚は備えてんじゃねーのとあたりをつけて関わっても外れないことが多い。しかし海外では、自分は外国人という立場だし、人々の間に流れる通念や常識感覚が日本と乖離していることがあるから、とりあえずはあまり踏み込まずに情報収集してじわじわ馴染んでいくことが定石になる。しかし、ここでちょっと冒険心がくすぐってくる。ある程度人を信用してみて、その人の案内でその国を見ていくと、ツアーやガイドブックに従ったのでは得られない経験が得られることがあり、それなんかはもう人生でかけがえの無い経験になったりする。そこらへんの決断は、経験で培った勘が大きな割合を占めてきて、だからこそ面白い。特に一ヶ月とかの短期のステイでは、素早く信頼に足る知り合いを現地につくることに全力を注いだりする。


まずはホテルで一件があった。ホテルはいつもどおり口コミと立地の兼ね合いで選んで、ホテルマンもまぁ大丈夫そうな人たちだった。いきなりロビーで謎のパキスタン人に絡まれた。私はイギリスに長く住んでいたんだとか言って自分の話を延々したのち、急に自分と自分の友人の電話番号を伝えてきて、困ったときにはそこに連絡しろと。友人のほうに連絡してみたら少しは面白かったのかもしれないが、僕の方の話を全く聞ない態度が鼻に付いたので深入りはやめとこうと思っていた。その後僕の番号をしつこく聞いてきたが持ってないなどと言って拒否して、ぐだぐだずっといなくならないから、紙に適当な数字と名前を書いて渡して握手してバイバイっつって。


するとその一部始終を見ていたホテルの人が、日本人は人をすぐ信用するからダメだと言ってきて、エジプトでは誰も信頼してはいけないみたいな話をしてきた。僕が誰も信頼しなかったら何も物語が起こらなくてつまらないよみたいな話をしたら、私達にいろいろ聞いてくれれば大丈夫と。先のパキスタン人の絡みでいらいらしていた僕はそこでホテルマンのあんたらを信頼する理由もないじゃねーか的なことを言ってしまい、その人かわいい女の子だったのだけどショックを受けたような顔をさせてしまいかなり反省した笑 ま、その後挽回してホテルを出た今もたまに連絡とるぐらいには良好な関係が続いているのでよしとしよう。


この、信頼する起点がない状態からスタートするのはほんとに大変だなって思った。紹介制をとっている弁護士が多いように、信頼に足る人物が、信頼に足る人物として誰かを紹介してくれるというパターンが、新しい人間関係をつくる一番手堅い方法だ。だけどもともとの知り合いが誰もいない状態で数日過ごす期間が今回あって、その間、たくさんのエジプト人がお互いをあいつはハスラーだ俺を信頼しろみたいなことを言ってきて、もう誰も信頼できねーよみたいな状態になった。けっきょく、ひとりひとりとすげー時間をつかって話してみるみたいなことをしたんだけど、それがまた疲れたよっていう。


たとえば、エジプト初日の街ぶらでHとMに出会った。まずHは、日本人のフィアンセがいるということで、僕もそれなりにテンションがあがった。徳島に住んでいたといい、財布から徳島の病院の診察券を出して見せてくれたので、これは本当だと信じる。しかも、なんの偶然か誕生日が一緒だったのでテンションがさらにあがり、一緒に街ぶらすることに。するとすぐに、Mが合流してきた。Mは、僕の滞在していたタラアト・ハルブ広場のあたりをウロウロしていて、それまで話したエジプト人の中ではホテルマンを除いては一番英語が上手く、ほんとかどうか知らんがカイロ大学の学生だということで、Mにも合流してもらって3人で珈琲屋に入った。


そこでエジプト初シーシャとエジプトでポピュラーなトルコ・コーヒーを飲みながらいろいろな話をしていた。僕が1ヶ月滞在してアラビア語を勉強するつもりだと話すと、彼らもテンションがあがった。1時間ぐらい話していただろうか。ギザのピラミッドに行こうという話になった。僕はろくに調べてなかったので初日にいくつもりはなかったが、彼らいわくまだ十分行ける時間だということ。そこでちょっと時間をもらってガイドブックを調べると、確かにまだ行けそうだと思われた。標準的な価格帯も同時に調べた。そこまでの一時間で、彼らはある程度信用に足る人間のように思えた。特に、Hが将来日本に行くから、その時世話をして欲しい、だから僕がエジプトにいる間はHとMが面倒を見るよ、という話は、まぁそれなりに筋の通った話のように思えた。


そしてMの運転でギザまで行くことに。初日で、まさか現地の人の車に乗ってピラミッドに向かっているなんて思っていなかった。なかなかフレンドリーな奴らで、僕にアラビア語で名前を付けてくれたりした。日本の蓮の花を由来にした、ハスナという名前だった。10日経った今も彼らは僕のことをハスナと呼んでいる。


さてギザのピラミッドで面倒なことが起きた。ピラミッドを観光する値段が、僕の情報と照らしあわせて2倍ぐらいのものだったのだ。僕は焦って、一度トラベルエージェンシーを出てHやMに高すぎると話した。Hは、ガイドブックがすべてではないと言った。僕にとって、そんなのはちゃんちゃらおかしい言い分だった。しかも僕にはガイドブックの他に、ホテルがコーディネートしてくれるツアーの価格情報もあった。それによると往復交通費合わせて300ギニー。一方で僕が提示されたのは、10
00ギニーだった。ガイドブックの情報では400ギニー前後だろうというところ。明らかに高え!(1ギニーは15円)


これはおかしいっつって他のトラベルエージェンシーに行こうとするもHとMに止められる。一度紹介したのに他のところに行かれたら俺らの顔が立たないと。しかし僕はもうすでにすべてを疑うモードに入っているので、つまりこのトラベルエージェンシーはHとMが斡旋してるところなんだと勘ぐっている。そして勝手に近くの数軒を回ってみる。すると何となく真相がわかってくる。まず300〜400ギニーというのは、ピラミッドのエリアに入る価格帯の模様で、そこにオプションで、ラクダに乗ったりピラミッドの内部に入ったりガイドをつけたりすると、どんどん値段がかさんでいき、1000周辺も妥当になってくるというもの。確かにホテルのツアーはラクダなどは含まれていなかった。うーむ、ラクダにのってピラミッドに行くのは人生の夢の1つだったので、ラクダのオプションはぜひ付けたいところ!笑


もちろん、周辺のお店だから口裏を合わせて同じ価格帯を言っている可能性がたかい。だが、その時点でだいぶ疲労してテンションも下がっており、なんとなくカラクリもわかってきたということで、HとMが待つ最初の店に戻る。そして苛烈に値段交渉して、ラクダとピラミッド内見物、ガイドやそいつへのチップ込みで500まで下げて落ち着けた。しかし、これでもぶっちゃけぼられていたらしい。そんなに酷いぼられ方ではないようだが、例えば現地の日本人の友人はひとり100かそこらで行ったらしく、なんか恥ずかしくなって自分がいくら払ったかなんて言えなかった。


結局、数時間やそこらで人を信頼できるかどうかなんて判断できないことが多い。数日の観光でぼったくりの多い国に行くときは、信頼できそうな口コミの多いホテルを選んでそこにのっかるのがやっぱり筋。あとは個人でいかず集団で動くこと。僕は今回ひとりでピラミッド周辺に行ったが、ひとりだったから軽く恐怖を感じてピラミッドを見ずに帰るという選択肢をとれなかった。たとえ素人集団であろうとも、集団である方が正しい判断をくだせる可能性は格段に上がる。


という失敗のおはなしでした

エジプトきたよ ワーヒド

前回修士論文に関して言い訳めいた記事を書きましたが、無事論文審査は通過しました。反省を生かしてさらに精進したいです。さて、このほどエジプトに一ヶ月ほどいる機会を得たので、多少旅行記的なものを書こうかと思います。まぁ主にアラビア語をしこしこやっているわけだけど、語学学校が終わったあとなどは多少街歩きをする時間もあっていろいろおもしろい経験もしています。

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まず出国時にプチ事件が起きた。出発当日の寝坊はなんというか宿命的だし致命傷にいたらなかったからよしとして、セントレアで航空券発券をしていると、滞在日数を確認され、これだとアライバルビザ(一ヶ月有効)が出ない可能性があるから渡航スケジュールを変更したらどうかと言われた。僕が歩き方と各種旅行者ブログと大使館ウェブで確認しておいた限りでは、一ヶ月を越える滞在の場合には一ヶ月有効のアライバルビザで入国してその後国内でエクステンションすればモーマンタイということで、わりと自分の情報には自信があったものの、現地の語学学校にその件尋ねていなかったのを多少後悔した。シンガポール航空のスタッフいわく、全航空会社が共通で使用しているデータベースによるとルール上はアライバルビザを取得できないはずなので現地で渡航スケジュールを確認されたらアウトという話だったが、まぁダイジョブっしょということで、航空会社は責任取りませんからね的な書類にサインして無事チェックイン。多少ビビって空港で再度調べたり旅慣れてる友達に電話して安心させてもらったりしていた笑

結果、無事入国できたわけだが。つーかなんのチェックもなく、所定の金額だしたらビザのシール渡されてそれパスポート貼っとけよっつって。さすがに雑過ぎないかとも思った。


最安値のチケットにありがちなことでシンガポールで8時間ものトランジットがあったので、なにげに初だったシンガポールチャンギ空港を徘徊し、全ターミナル制覇してみた。ゴージャスすぎて写真とってフェイスブックにアルバム作ったりして、今思い返すとなにしてたんだろう。シンガポールでカイロ行きに乗り換える段になると、そこまでアジア人だらけだった周辺が一気にエキゾチックな雰囲気になり、おお旅が始まるぞという感じに。そしてドバイで給油で一時停泊したときに30分ぐらいだけ空港に降りてみると、あらら思っきしムスリムの人しか目に入らない世界に。ついに来ましたねという感じ。飛行機内で少し仲良くなったエジプトの人が、なぜか超巨大ラジコン(ヘリコプター)を運んでいて、それがトランジット中の荷物検査で地味に引っかかってアラビア語で超揉めてたのが印象的だった。結局無事通過できていてよかったね、と。


初日、昼過ぎに到着して1日特に何もない日。語学学校を下見などして翌日の確認をしつつ、街ぶらしてみる。いままで訪れた国のどこよりも人が話しかけてくる国かもしれない。めちゃめちゃフレンドリーなのか、それとも革命前後で観光客が激減したから少ないパイをハスラー(ボッタクリじみた客引き)どもが取り合っているのか。基本的に、1分間だれにも話しかけられずに1人で歩き続けられたら奇跡というレベル。革命のあったタハリール広場からほど近いタラアト・ハルブ広場に宿をとっていたが、現地ではダウンタウンと呼ばれる人でごった返してホコリっぽい良くも悪くもカイロらしい地域で、観光客もまずはここに来るという場所なもんで、外国人と見ればみんながみんな話しかけてくる。


肝に銘じなければいけないのは、「無償の親切はない」ということ。彼らの常套手段は、例えば有名な観光名所やレストラン等に道案内して、そこでのオーダーなどもアラビア語ができない自分に代わってやってくれて、こっちがご飯を食べている間は話相手になりいろんなことを話してくれ、その後、自分のやっている店に半強制的に連行して物を買わせたり、あるいは単純にガイドだと言いはって金をもらおうとしたりする。こちらもこちらで、道案内してもらったりエジプトの話を聞かせてもらうのはありがたいのでお金を払うのは完全に嫌というわけではないのだが、やはり日本ではほぼ起こりえないパターンだから多少不快な気分になったりはする。


バクシーシ(チップのようなもの)の文化は一応本で理解していたし、親切に対して自分が払っていいと思う金額なら払ってもぜんぜん構わないと思っているし、小銭で身を守れるなら全然いいから、なにがなんでも払わんという感じではないのだけど、やっぱ無理やり店に連れて行かれたりすると不快になって何も買うもんかバカやろー的な気分になり、それより奢るからそこの珈琲屋でもっと話そうぜという流れにもっていって解決したりする。ある程度日数が経って標準的な価格帯を知ることができれば、ぼったくられているのかどうかもわかるし、そうしたらもっと不快な思いをすることもなく人と関わることができそうだ。あとはもう、慣れかな。


このように単純に自分を助けてくれてその後に多少金をせびったり店に連れ込んだりするのはどちらかと言えば良心的なパターンで、一週間ほど過ごした今の実感値からすれば全体の25%ぐらいだと思う。そして完全に良心的な、旅行者と会話することだけを楽しんで何も要求せず建設的な関係を築けそうなのが10%(いままで2人だけ出会った)、じゃあ他の奴らはどうかというと、嘘の情報を教えたり(ATMを聞いたら薄暗い謎の地域に連れて行かれて明らかにおかしかったので逃亡した。また他の件では、博物館について聞いたらそこは閉まっているから他の店に行こうと言われたが、その後行ったら普通に開いてた。)、いきなり物を俺の手に謎の書けなそうなペンとかを握らせておいてお金を請求したり、フォト!フォト!と言って写真を無理やりとってはお金を請求したり、ニコニコしながら俺に無理やりターバンを巻きつけてお金を請求したり、汗ばんだ腕でいきなり肩に腕を回してきて「フレンド!フレンド!」とうるさかったり(笑)、多少不快にさせてくる連中が多い。特に観光地のギザのピラミッド周辺は金をせびりまくる奴らばっかりで、せっかく物凄い観光資源があるのに勿体無いなぁと思う。旅慣れてない旅行者が来たら圧倒されてしまうんじゃないかと思うくらい、他のどの国とくらべてもかなりアグレッシブにいろいろ押し付けてくるので、笑顔で「ラー、シュクラン!(サンキュー。でもいらねえよ!)」と言いまくらないと大変なことになる。



そんなこんなだけど、やっぱ歴史の重みがある国で、上で話した10%ぐらいの人の良心は厚く、メシも不味くないし、なんか憎めない国って感じ。最初の扱いはちょっと大変だけど、好きになるとクセになり、噛めば噛むほど味が出る、そんな国かもしれない。以上、歩いてたらたまたま見つけた、通りでめちゃめちゃ浮いてる超綺麗なCOSTA COFFEEにて。いま店員が話し掛けてきて、日本人だと話したら、Japanese are the best people on the earthだとさ。まぁ、嫌な気はしないよね

大人になっていきながらこどもでもあり続けたかったから苦しんだと思いたい、あるいは単に能力不足だったかもという話

相変わらず自分なりのペースで、前進と後退を繰り返しつつも全体としては前に進んでいるんじゃないかと信じれるぐらいには無意識的に気分軽めの毎日を歩んでいます。

このほど、知的好奇心と知的興奮の違いはなんだろうなぁと思うことがあって、すると伊丹敬之著の「創造的論文の書き方」(論文と銘打ってはいるが大学院生に限らず全俺世代に読んでもらいたい名著)の16頁〜に、

知的興奮=面白いと思えるもの=偶発的・事実志向
知的好奇心=不思議と思えるもの=持続的・理論志向

という説明があり(原文は文章解説だったものを勝手に図式化した)、ぼんやりと頭の奥で認識していたことがストンと落ちる感覚があった。何を隠そうこの腑に落ちる感覚を覚えるのが久々というぐらいには知的に凝り固まった生活を送っていたので、無駄に執筆意欲を掻き立てられてしまい、ここにシェアする次第です。


(ここ以降は本に基づく僕の考察で、本の内容に完全には沿ってないよ)

さてこの知的好奇心を掻き立てられる不思議な事象に出会うというのはなかなか難しいものであり、こどもにはなかなか出来ないのではないかと思う。そう、だからこどもは興奮しっぱなしなのである(いやいや…)


なぜなら、ある事実を見たときにその理解の前提となるフレームワークなり理論なりが頭にあるからこそ、それへの矛盾や不整合が認識でき、そのフレームワークなり理論なりの適用範囲が広ければ広いほどその矛盾・不整合のインパクトが大きくなり、持続的な知的好奇心が生まれると思われるからである。


一般的にこのフレームワークなり理論なりは当人の体験・経験に基いて時間を掛けて降り積もるように形成されるものであり、だから年を食った大人は経験に基づきなんらかの好奇心というものをもち、興奮の相対的な魅力が減少するので、一時的な興奮に振り回されることはあんまりなくなる。そう、大人は興奮しないのである(はて)。若くして研究者になっていいイシュー(不思議なもの)を発見している人とかは、人より質及び量で優る経験や読書を通してそのフレームワーク形成を加速させたことにひとつの成功要因が見て取れそうである。


自分の大学の学部時代を今になえって振り返ってみるに、興奮に振り回されていろんなことをやり続けた毎日だったなぁと思う。面白そうだと思って飛び込んだものに運命的な出会いを感じて(いやその衝撃は確かにすごかった)、結果としてなぜだがどうして名古屋大学にたどり着いた。そうして単発的でありえた興奮を構造的に持続させる仕組みに組み込まれ、その興奮は最近になってようやっと好奇心に变化し、ああ俺はこの分野で生きていくんだなという覚悟が相当なレベルで出来上がってきた。


(以下は、これにかこつけた修士論文の個人的な反省会ですので悪しからず。)

ところで、僕はこの変化を恐れた。知的好奇心を駆り立てられるものがみつかると、それに熱中できるのはいいのだが、その熱量が強くなりすぎて他のイシューへの興味が相対的に下がり、ひいては閉鎖的な知的探求に陥ってしまうのではと恐れた。そう、つまらない大人になってしまいそうだった。これはまったくもって論理的ではなくて、今になって思えば、というか実感値としてあるのだが、知的好奇心によってドライブされている中心的なイシューへの探求は同心円的拡大をもって他の分野へどんどん波及されていくようである。


さらにまた僕は、閉鎖的な思考プロセスではイノベーティブでクリエイティブな論文は書けないのではないかとも恐れた。言うじゃないか、複数の分野(片方はだいたいITだがそれに限らない)の接合がイノベーティブな成果を産むと。ろくに調べもしないその妄想に基づき、僕は修士論文の執筆の過程で一貫して雑多な文献を読み続け、凡庸な研究者になるならアグレッシブに攻めて爆死でもしてやれと言わんばかりに、果ては複雑系科学などにどっぷりつかったりしておそらく当時の僕は興奮で目が七色に輝いていたと思われる(これは複雑系科学の可能性を否定する主旨では全くない)。


この二つの妄想に導かれ僕は修士論文に失敗した。大人になりながらもこどもの心を持ち続けたいんだという謎のスローガンに振り回され、肝心なイシューの見極め、論理の精緻化、エビデンスの厳密化などのまっとうな道における深化に全力を注がなかった。あるいは自分のまとめきる力みたいなものを過信しすぎていた。結果として不十分なものを提出してしまった。いかなる裁定が下されるかはわからないが、はて、半年卒業を延期して修士論文をしっかり完成させないとどうもこの気持は落ち着かないかもしれない。無論、修士号がとれてしまったら、失敗を糧にして次、次と進んで行くだけだけれども。

ともあれ、修士論文出しました。

さいばんしょさんがお疲れのご様子

裁判所が社会でどのような役割を担っていくかというのは一個の問題であって、裁判所が決定するに適する事象と適さない事象がある。こんかいの大飯原発に関して福井地裁が差し止めを命じる判決を出した件は、その微妙なボーダーラインを検討するのにいい素材を提供している。Blogosなんかを見ると怒涛のように記事が出ていて、すごく勉強になる。こちらのリンクをとりあえずどーぞ

http://blogos.com/news/Ooi/

大づかみに言えば、社会をどの方向に動かしていくのが適切なのかという議論が大前提としてあるべきで、いい方向に向きやすい意思決定・問題解決のプロセスを各イシューごとに設定するのが大切なんだと思っています。たとえば同性愛者への差別の問題とかは、個人の権利を敏感にケアすることができる裁判所で問題解決を図るのはイイカンジな風がする。一方で、今回の大飯原発訴訟のほうはどうでしょうか。この原発の問題を人権の問題と理解する人にとっては、裁判所に訴えることは至極最もなんでしょう。一方で、その経済的価値を適切に判断すべきという立場からすれば、裁判所が何かを判断するのはピントはずれな感じがするでしょう。僕は後者の立場なんですが、まぁそれはここではいいとして。

ひとつメタのレベルの問題として、問題解決のプロセスを選択するという発想が裁判所という制度には十分に織り込まれていないんじゃってところが気になっています。裁判所に訴えると決めた場合にそれを否定することは基本的に裁判所にしかできず、訴えられた側としては裁判が適切じゃないと思うならなんで裁判が適切じゃないかを議論するんですが、その場合の判断基準は法律で解決できる争訟かどうかであり、裁判所での解決が正しい問題解決を導く上で適切かという議論には、政治的なイシューを除いてはあまりならない。そして、おそらくその点を暗に指摘する心を込めた批判として、裁判所の意思決定大衆迎合的だという意見が出ているっぽいですね。

「人の生存そのものにかかわる権利と、電気代の高い低いを同列に論じること自体、法的に許されない」というとことか、ほんとに裁判所だなぁって感じる。問題は、原発のセキュリティだとか安全に稼働できるのかとかそこらへんの科学的な議論をする場所として、裁判所は判断が人権方面に偏りがちな場所なんじゃないかという点だと思います。つーかやっぱ、熟議からの民主的解決が適切なイシューなんじゃねえの。

他にもたくさん問題を炙り出せる面白い一件だと思います。ろくすっぽ調べずに書いたので何か事実認識として間違ってたら教えてくれるとありがたいです

一歩、一歩

最後のエントリを書いてからまたしばらくが経った。

毎日は平和に過ぎていくけれど俺はいろんな葛藤にさいなまれ、思い描く理想についていかない現実をみていじいじしたり挫けそうになったりして、最近なんていわゆる現実逃避的なことさえしていた。この名古屋のコミュニティに浸かってたのしんでいる自分?まぁ、そりゃいいんだけど、夢への道のりがおろそかになってちゃあかんっしょ。

なんだかいろんなことを毎日思って、持続しないモチベーションがあって、あーしんどいなぁと思っていた。でも、振り返ってみるとおれはこんなことばっかり繰り返してきたんじゃないか。いじいじしては勝手に自己解決してすっきりしてなんとなく体裁をととのえて人生を先にすすめてみるみたいな。

そのたびに成長出来ているのだろうか。そうだといいんだけど。

もっと肩のちからを抜いていこう。失敗したっていいじゃないか。自信は失っちゃダメだけど、変な過信とかプライドはそろそろ脱ぎ捨てないとヤバイんじゃないかな。
「自分は完璧じゃないって思うことでいろんなことに足を踏み出しやすくなるし楽になる」ってすごくよくできる後輩が言っていて、ああ大事な感覚だなぁって思った。そう、客観的に思い返してみれば、なににつけても一番にできたことなんてないし、きほんてきに失敗の思い出ばっかりだけだ。それでも一応まわりに面白い人はいるし夢を追う環境はある。多少間違えたっていいじゃない。

去年世銀で会った人が、「自分を高めていくことに妥協したくない」と言っていていいなと思って、俺も同じ意気でどんどん前に行ってやると思っていたけど、どうやら少し曲解していたみたい。この言葉は強がりを説いているんじゃなくて、果て無き向上心をもつことを説いているんだ。俺が世銀で憧れたのは、あの執拗なまでのプロフェッショナリズムやこだわりと、途上国開発という分野への青臭い少年のような情熱が両輪になった、かっこいい人たちだった。

誰も完璧なんかじゃない。大切なのは、自分がまだまだだと認めながらも前を向き続けることなんだ。

さいきんちょっとダメダメだったのは何かパーツが足りないわけじゃなくて、自分の中にすでにある答えに、ちょっとうまく行かないからって自分でモヤを掛けていただけ。失敗してもいいし間違えてもいい。たまにはちょいと逃げたっていいかもしれない。でも、やっぱ諦めちゃアカンでしょ。夢があるなら妥協しちゃダメでしょ。

ダメダメな日々の明け方、そういうことを思ったので書き留めておく。がんばれ自分。

Science and Art of Deliveryなど

最近、いろんな学問に手を出して混乱気味な気がする。どうも調子が上がらないというか、考えが洗練されてこない。それはつまりスランプなのか。ああ、馬鹿なのか!ちょっと息を抜く代わりに、世銀のときにちょっと触れたもののしっかりまとめる機会のなかったScience of Deliveryについて読んでみた…ら、熱くなったので、続くかも。(1)となっているけど、いまのとこ構想とかないっす。

マッキンゼーがまとめた論攷集
http://mckinseyonsociety.com/voices-on-society-the-art-and-science-of-delivery/
世銀ブログ集
http://blogs.worldbank.org/category/tags/science-delivery

以下は、このリンク先のものを読みながら書いた。


大規模に効率的に効果的に持続的に、健康・教育・食・金融その他のサービスをそれを最も必要としている層に提供(Delivery)する。その提供方法を改善する技術を科学的に分析して広めるべきである(Science)。それは必ずしも言語で記述あるいは伝達できるとは限らず、経験知・暗黙知(Art)も必要である。以上が基本コンセプトだ。世銀総裁のジョン・キムは、この表現を去年の東京での世銀IMF総会でも使用した(総裁は、Artとは言わないが、含意していると思われる)。

この基本的理解を、マッキンゼー記事はさらに分析している(引用)
”Delivery is both an art and a science. We think the art is in the innovation and adaptability of the actors and different delivery models, while the science lies in replicating and scaling those models. The needs are great—but so are the opportunities and the resources that we can mobilize if we all work together. - See more at: http://mckinseyonsociety.com/voices-on-society-the-art-and-science-of-delivery/#sthash.38WC9JkG.dpuf

プロダクトを提供する主体が、革新的な提供方法をデザインしたり、環境変化に自在に適応することは、経験値・暗黙知の支配領域で、それに対し、革新・適応の成果物を拡張・移植することは科学の支配領域であると。もちろん境界線に揺らぎはあるが、これはそのまま、学界(社会科学)と実務界の支配領域を反映しているように思える。学者は社会で起きていることを研究対象にしていて、その主眼は、なぜそのような現象が起きたのかという分析である。例えば、アラブの春はなぜ起きたか、という問いを立てる。そして現状の正確な把握は、将来予測をある程度可能にすると考えられている。EUでうまくいった政策を、日本に移植した時うまくいくのか。それを考えるために、EUで上手くいった要因を把握し、それが日本にもあるか調査する。あるいは上手くいかなかったアメリカで上手くいかなかった要因を把握し、それが日本にはないか調査する。その上で、よっしゃイケるってことで政策移植をする。これが学界目線で見た理想的な移植であり、科学的に分析しやすい領域である。もちろん、他にも大事な要素は絡みあい、政治的な駆け引きやスピード感、国際情勢などがあり、それをやりくりして必要なときによい政策をぶちこむ、それは依然、言葉で説明しきれない要素を含むから、暗黙知の領域で、熟練した実務家の出番になる。Science and Art of Deliveryとは、たとえばそういうことだと思う。



ここでちょっとズレるけど、なんとなく、Science of Deliveryのちょっと上流の問題について。具体的には、学界で生まれた知見をいかに実務に落としこむかについて。世銀で抱いた感覚は、その変換効率の悪さだった。最近流行りの”熟議”と通底する問題で、民主主義が抱える原理的な難しさと近い。

日本国民が話し合ってみんなでわいわい意見を出し合って喧々諤々して、国の方向を決めていくのが本当の国民主権であり民主主義のはずだった。しかしそれができないから、選ばれた人を国会に送り彼らの意見を全員の意見と呼ぶことにした。専門的な業務はその道のプロにやらせるのがいいだろうってことで、官僚が生まれ、官僚は公平であることが求められた。そうやって政府はギリギリ機能した。官僚は政治が決めたことを実行する部隊。熟議民主主義では、話し合いを政策決定の過程に上手くデザインして組み込み、政策を改善し、さらに政策の正統性を向上する。多様な意見を吸い込んでいかに良い結論を導くか。それも、正解がわからない問題に対して。これが制度設計の上で答えなければいけない基本的な問いだ。

学界で生まれた意見が、いかに世銀に流れるのか。その変換効率はどうか。世銀で実際に行われていることは、この熟議に近い。政治の現場と異なり、当事者全員の意見を吸い込むことに拘る必要はない。だが、コンサルテーションと呼び、多くの議論を集約する。世銀では対抗勢力をいかになだめすかしつつ「正しい」ことをするかが大切で、学界との交流の目的は、政策を正しくすることと、それを説得的に証明することである。世銀目線に立つと、じゃあどの学者と交流するか、その決定方法が大事に思える。学者は、たとえばノーベル賞をとったら、声を世銀に通しやすくなる。学界でまず権威を得ることだ。そして、世銀とのコネクション。それらの制約から、学界にいながら世銀を伺うのは、博打に近くなる。変換効率が悪いというのはもうひとつあり、世銀はそれ以前に採用しているポリシーを棄てるのをためらうから、学界がどう批判しようと無視されるということだ。世銀にいたときはそんな感覚をもった。メールのやりとりとかを見れたから。でも、僕が見たのは本当の一部だから、実際にどうかはよくわからない。


多少話が逸れたけど、疲れたのでまとめに掛かる。熟議を上手く成立させる、世銀において有効なポリシーを作るために学界とうまく連携する。それはどうすれば可能になるのか、それを考えることが、Science of Deliveryの上流の問題としてある。それは制度設計学が担っている。

CVSの面白さと不快さと

CVSという学生団体について。内部事情がわからないと伝わらない話なので、CVSを知らない人は読んでも意味が無いです。昨晩なんとなく考えていたことを眠気覚ましに文字化したので、久々のブログエントリに転用というあくどいやつ笑


CVSは、国家を措定し、その中で学生が架空の企業を設立して競争する。国家は財政を管理して、経済をコントロールしつつ、統治者として規制(というか、スタッフ=国家が年長者であるゆえディシプリン教育みたいになることが多い)を課す。そこでは、民主主義に正統性を付与する源泉のひとつである選挙の過程が欠如している。スタッフの選考は、基本的に社会人代表者が行う。つまり国王制に近い。立法機関と行政機関の区別は曖昧になっているので(「憲法」は基本的に変更されない)、神による統治と言ってもいい。経済は資本主義を措定している。学生はフォーマルなルールに則って競争する。限定的にルールへの異議申立てはできるが、レガシーを伴っているルールの変更は実質的にはできない。神とスタッフが伝統を強調するのはそのせいだ。お金が絶対化され、学生は億万長者を目指して競う。学生に社会の縮図を効率的に体得させる上で非常にうまく設計されている。スタッフへの風当たりが強いのは、選挙がないことも原因のひとつ。選挙しろというのではない。面白いのは、選挙のあるなしに関わらず、スタッフのデキがよければ批判は出ないということ。このように、統治の正統性は、プロセスではなくアウトカムに依存しがちである。中東で正統な国家を建てるにしても、Due Process推しは大事だけど、兎にも角にも経済成長だよというのはこういうことだと思う。ちなみに、実際の世の中は、正しいことが何かがわからない問いも多く、誰がコントロールしてるかさえわからない部分も多く、だからこそもっと難しくもっと面白く、同じ「資本主義」でも違う論理が必要だったりする。


ところで、CVSがなぜ気持ちわるく感じたのか(筆者の個人的感想ですので悪しからず)。 謎の不快さの源泉は、多様な価値観を許容しないところだった。期間中、ビジネスライクな思考方法への洗脳を行う。それ以外の世界の存在は度外視する。参加中の学生は、ご褒美目当てに必死で競争している。立場が固定化されているから、プログラム中に「普通の」会話が開通しない。洗脳状態である。例えば、ご褒美がくだらないということや、競争内容がショボいということは、(思ったとしても)タブーである。そして、学生は洗脳に気づいているが、全体として洗脳に触れることが出きない空気感があり、かつ触れるメリットもあまりない。結果、プログラム終了後、それぞれの人間のスキルや思考方法のクセ、チームでの動き方はわかるが、それ以外の人となりは何一つわからない。言い換えれば、立場を無くした上での生身の人間像が見えない。そこが不快感の源泉だった。だれかニーチェを標榜して神は死んだとほざいてみたり、あるいはアラブの春に憧れて国王を追放してみたら面白い。そのとき、「国家」はどう動くのか。ちなみに、その洗脳状態は、ハイコンテクストな会話を可能にするという意味で、心地良い。それはそれで、悪くはないよね。ムスリム国家のあの団結力とかは、つまりそういうことじゃろうか。


そしておそらくメキシコ人とうまくいかないのは、この本質がうまく伝わっていないからだと思う。世界観が一種のテーマパークで、みなは白昼夢を見ながら大きく成長しているんだよというコンセプトだというのを、共有しないといけない。特にメキシコプログラムはホームステイを組み込んでいるから、その本質が表面化しにくい。きっとそれがひとつのハードルなんだと思う。そしておそらく、解決はだいぶ難しい。

イラッリカー!