落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

世銀インターンが終わった日の急に始まった人生振り返り

人生はドラゴンクエストの進化版だ。小さい努力・経験を積み重ねていって自分のレベルを上げ、目的を同じくする仲間と運命的な出会いを果たし、戦闘というプロジェクトでは助け合い、そして最終目的を達した後、道連れに出会った人と感動的な再会を果たし喜びを分かち合い、本当に大事なものは旅の途中にあったと気づく。なんと素晴らしい、ドラクエのような人生を送りたいと子どものころから思っている。そして進化版と言ったのは、人生の場合、目的を自分の好きなように選びとることができるからで、なおかつ目的をひとつに絞らなくていいからだ。蛇足だが、全滅してレベルが下がるのはドラクエの良くない(面倒くさい)ところで、かつ人生と異なること。人は全滅するほとのスゲー挑戦をして失敗すっから、成長するんだ。全滅したら、レベル、10ぐらい上げといてよ。

このドラクエ思考は、人生観のひとつでありつつ、モチベーション管理の方法でもある。勇者に課される必要な試練だと思って、いつか最強になることを目指し、とにかくまじめにやっていくこと。ゲームを心に宿している、新手のゲーミフィケーションか、あるいは、三井寿がスラムダンクで至った境地である、「もう一人の自分が今の自分を客観視している感覚」か。そうして、ヤバイ、とおもった時に、目をつぶってしばらく落ち着いて、人生の目的とサクセスストーリーを思い描く。一呼吸して目を開けると、やる気に満ちた自分が帰ってくる。強い敵と遭遇した時の、あの独特の興奮が迸る。いかに失敗しようと、カッコ悪かろうと、必死に走っていれば、わかる人はわかってくれている。仲間は見ていてくれている。



私の人生の目的と、今までの歩みの話、世銀でのとりあえずの締めくくり、延長線への橋渡しまでのストーリーが、なんとなく今晩、頭を駆け巡って離れないので、書いておく。


大学の終わる頃、気まぐれである哲学者の講演を伺いに行ったとき、現象学の話をされていて、それ自体は意味がわからなくて哲学者ってすごいなと思っていた。その話のなかでひとつだけ、「魔界との出会いが人間を大きく伸ばす。」とおっしゃっていたのが、なぜか頭に焼き付いた。魔界とは、本人の理解レベルを超えた世界を意味していて、平たい言葉で言うならば「上には上がいる」と知ることが人間を大きく伸ばす。ということだったんだと解釈している。

それがなぜ自分に突き刺さったか。それは、それまでに自分も2回、魔界に出会っていたからだ。そして、ラスボスの居城に立ち入った井の中の蛙なドラクエ6の勇者のごとく、見事な挫折をした。一回目は東大受験に落ちたこと、二回目はVIS MOOTという模擬裁判の世界大会で海外の弁護士の卵と戦って敗北したこと。そしてその二回の挫折の間に、ひとつやってはいけない失敗をしている。僕の学生生活の真面目属性のダークサイドのハイライトは、これらだ。

高校の頃は学校内でもかなり上位の成績にいたし、模試の判定も悪くなかった。模試でちらちらと上位の人の成績を見るときなど、人間業じゃないな、と思っていた。そして本番、見事に一点差で不合格。そのときのがっかりした父親の顔は、今も時折思い出し、心がずっしり重くなる。二回目は模擬裁判の世界大会。これは実は二度参加し、一度目はやってはいけない失敗をして、本当に人生を放棄したくなり、しかしここで諦めたら試合が終わってしまうと、二回目挑戦し、人生二度目の挫折を味わう。

この二つの挫折について。僕は最初の挫折で、自分の限界を悟った気になった。天才だと思っていた自分がいかにイタい存在だったか。僕は高校時代、ろくに遊ばず、部活と勉強だけに勤しむJack Dull Boyだった。「遊べない自分」に劣等感を感じていて、でも成績が1番付近であることが取り柄だった。その取り柄を見事に失った自分。大学に入って2年、見事にふぬけて、良く言おうとすれば新しい自分を探そうとして、楽しい飲みサークルに入って一発芸をしてスベって自分ってなんなんだろうと悩みつつ、でもそんな不安定な時代を楽しんでいた。

やってはいけない失敗がやってくる。それは、模擬裁判の世界大会。この、聞いただけで惚れ惚れするような大会に望んで、あろうことか僕は準備・練習で手を抜いた。挑戦しないこと。最悪の失敗だった。そのとき、大事な一人の友人が、そんな僕をなあなあで扱うことなく、「それではダメだ」と面と向かってはっきり言ってくれた。不安定な時代でぬるま湯に使っていた自分に喝を入れてくれて、最後の土壇場でスイッチを入れてもらった。結果、追い込みをみせ、チーム内では割りと良い点数になったが、それが逆に嫌というか、テストでだめだったのに「よくできたね」と真顔で言われたときに似たあのモヤモヤとした不快感に包まれ、プロセスに最悪の後悔を抱えて、トラウマとなる大会になった。同じ失敗だけは二度とするまいと誓い、トラウマを抱えつつも、だんだんと自分のギアを高めていった。

これで真面目になりだした自分は、ドラクエでいうラスボス、つまり生きる目的を探していた。大学という自由な環境にあって、無数の授業、無数の課外活動を前に、全く選択基準を持たない自分にそこで初めて気付く。高校時代までは「親にやれと言われたから」勉強をする子どもになり、成績がよくなり、それはいつしか「親を裏切りたくないから」勉強し続ける自分になっていた。親は、僕が幸せになることを望んでいるのであって、僕の成績が良いことを望んではいない。しかし、勉強しろと言われ続け、勉強を自分でするようになるとそこから新たな指令を親から拝受しなかった自分は、「勉強しろ」が決定的なメッセージなのだとナイーブに考え、成績を高く保つことが親の最大の希望と誤解していた。そして、第一の挫折。合格者掲示版の前で見た、失望した親父の顔。その後家に遅くに帰ると、なぜだか急に老けたように見えた親父の顔。それからなんとなく部屋に篭もるようになり、両親と会話がなくなり、飲み会やサークルの楽しさから遊ぶ楽しさを覚えた気になり、遊べない自分の劣等感を払拭できている快感を感じ、初めての恋をして、いつしか刹那的で享楽的な生活に陥り、親父にガキの頃から聞かされ好きになった吉田拓郎フォークソングは、自堕落な自分を「それでいいんだよ」と肯定してくれているように思えていた。

そんなときにやってきた、やってはいけない失敗の経験。目を覚ました自分。生きなきゃ、と思った。そして最大の弱点に気づく。目的意識のない自分。成績だけが取り柄で、親の期待に応え、東大に落ち、親と絶交し、享楽に走っていた自分。確かに今振り返ってみても、目を覚ましたところで、人生でやりたいこと、とかが自分の中から生まれてくるはずがない。空っぽの自分。ゼロの自分。本当に焦って、恐怖を感じた。だって、それはすでに就活の時期だったから。もう、どうしていいかわからない。その時、親友が勧めてくれたのが、バングラデシュに渡航するGCMPというプログラム。

衝撃だった。グラミン銀行のネットワークを活用して辿り着いた本当のボトムオブボトムと呼べる農村地帯。最初は本当に、何が起きているかわからない。子どもたちの生活。その農村で生まれてから死ぬまで過ごす生活がある。この世界には、これで生活をしている人がいる。そんな人たちが、日本から来た自堕落な自分に語りかけ、でもその話す話とかは普通で「きのう学校でこの授業受けたんだよねー」とかいう話だったりして、その状況全てが、どういう経緯を経て、どういう仕組で、どういうワケでそうなっているのか、何もわからずフリーズして、ただただ、茫然とする。僕に語りかけるその若者の目が、なぜかどうも見ることが出きない、でもすごく見たい。そして数日後、頭の整理が付いてきて、ふと気づいた、その若者の目の黒さ。これは錯覚かもしれなくて、でも僕の中では真実で。僕も勉強しないでバングラデシュに言ったわけではない。いわゆる、貧困の罠の議論も知っていた。そして目にした現実。だんだんと自分の中で融解して混ざり合い、そして出てくる「わからない」という結論。なんなのか、わからない。貧困の農村の方が幸福度が高いという議論、先進国の人々と出会ってしまうことが決定的な不幸を産むという、一見してもっともらしい見解。でも客観的に状況を見たとき、その若者から奪われている可能性の芽。そのせいか、黒く見えたような気がした目。結局、何をどうしなきゃいけないか、わからない。でもそんななかで、寝れない夜が続いた中で、熱でぶっ倒れたりした中で、でも最後の最後、村のみんなにバイバイを言うときにはだんだんと自分のなかで生まれてきていた答え。「なんとかしなきゃいけない」。この複雑怪奇な世界の難問、いっちょ、腰を据えて取り組んでみようじゃないか。そう思った理由は、後から振り返るとたぶん二つ。農村の若者たちに見えた可能性、それへの恋、あるいは裏返しとしての「機会の不平等」への宛先の無い怒り。世界の現実の一端を見たという感覚。そしてもうひとつは、腑抜けていた自分に生きる目的をくれた、若者への、農村への、バングラデシュへの、感謝の気持ち。

目的が決まった。途上国開発だ。さて自分に、なにができるか。それから、自分のやりたいと思えることに素直に、初めて自覚的な選択をするようになり、悩みながら考えながら迷いながら批判されながら(特に、世界大会の件で素直にダメだと言ってくれ、バングラデシュを教えてくれた親友に批判されたときは堪えた。そのときは、今に見てろと思って、すこし沈黙した。)選択を積み重ね、時を経て名古屋の大学院生になった。そして、開発界をリードする、世界銀行に行く機会を得た。(経緯)

とその前に、第二の挫折。やってはいけない失敗をしたVIS MOOT。この後悔を払拭するために、また一方で、曲りなりにもまじめになってからもう一年生きた自分の実力を試すために、そして後輩にひとつでも多くを伝えるために、4年生でも参加した。結果は、挫折。本気で本気で本気でやった上で、なお届かなかったという挫折。ハーバードロースクールを相手にした香港での、学生生活最後の弁論。わがままを言って、自分のやりたい立場で(原告と被告を選べる)、わがままを言って自分のやりたい相手とさせてもらった弁論の試合。掛けてきた時間のすべてを解き放って、主張した。ハーバードの弁論は、下手に見えた。相手の弁論の骨子はわかり、的確に批判した。仲裁人の質問にも、しっかり答えた。フィードバックも、あえて時間を鑑みて戦略的に弁論から削ったとこを言われたので、予想の範囲内で、それは仲裁人の好みだと言い切れるものだった。そして、開示された低い点数。そのとき、頭をかすめていた記憶が蘇る。

弁論の最中、唯一わからなかった部分があった。それは、仲裁人がした1つの質問と、それへのハーバードの回答。英語は聞こえた。しかしその質問の意味がわからず、なぜそれを聞くのかとさえ思えた。それに対してハーバードの回答は、「意味がわからなかった」。なんで、その質問に対し、そう答えるのか、謎だった。謎だったから、失敗だろうとして、放置した。そして点数を見て、蘇る記憶。仲裁人の人にメッセージを送り、その質問につき聞いてみる。教えてもらい、そのやりとりの概念的な深みをようやく悟った。そしてさらに寒気を覚えた。それは、自分が気づいたその違和感のあったやりとりは、それが唯一僕の理解を超えた部分というワケではない、ということ。合理的に考えれば、それはおそらく自分の能力の限界点を示しており、他にも「僕が気づきさえしない洞察のある議論が含まれていた」。こう考えるのが筋だろう。仲裁人の友人は、それ以上はあんまりないと言っていたが、その方は3人のジャッジの中で一番の若手だったから、他の2人のジャッジがさらに高度の議論をしていた可能性があり、ハーバードが勝ち抜いているのをみると、そのレベルにハーバードの学生は付いて行っていたということになる。

魔界だと思った。レベルの差が認識できない次元の違い。上には上がいる。それも、階段のひとつ先とかじゃなくて、宇宙までぶっとぶレベルのやつがいる。自分の生きている世界は、そういう世界。国と国とが繋がって、世界中の同世代が直接競争するようになる、そんな世界。つまり、この魔人が相手。なんだよ、とおもった。どうすんだよ。もともとのポテンシャルに差がある気がするし、腑抜けた時期もあった自分に追いつけるのか。その暗い悩みの中で選択していった、名古屋大学の法学研究科という道。出した結論は、迷いながらも、直観に従い、先達の意見を聞いて、最善の策を繰り返すことしかできないんだという当たり前のもの。自分を支えたのは、バングラデシュが、それから書いていないけど南アフリカとミャンマーがくれた、人生の目的。



さてさて世界銀行へ。世銀にて、第三の挫折を味わい掛ける。味わい掛けて、持ち堪えた。心はぐちゃぐちゃになりそうだったけど、それでもこの情熱だけは同じだぞという一点をもって、なんとか粘って可能性を持ち続けた戦い。単純な話で、世銀でリサーチをした、そのリサーチが箸にも棒にもかからないという話。敗北感。会う人会う人の、圧倒的な知識レベルと思考速度。その中で最大の収穫は、「世界銀行を出る前に敗北感を乗り越えることができたこと。完璧な挫折にならず、折れる直前で持ちこたえたこと。」どうやって持ち堪えたのか。一ヶ月半の滞在で、ペーパーを書くレベルが世銀レベルまで向上する訳はない。どうすればいいか。たどり着いたのは、「延長戦」の交渉。交渉とはWin-Winを目指すものだという交渉学の哲学を思い出し、自分がやりたいのは世銀でなるべく多くの人に会ってインスピレーションを得つつ、今できる自分の最大限の貢献をし、かつその貢献を形あるものとして結果に残す。最後の点は具体的には、世銀の上司にアプローバルされた岡野が執筆した書面として、世銀のストックに残し、関連分野の方に読んでもらえる状態にすること。それに対して世銀のスタンス、タダでやとったこの若者がどうなろうと構わないのだけど、仮にラッキーパンチでも中身のあるペーパーを出してくれたなら儲けもの、というものであるはず。そうだとしたら、交渉のテーブルに出すのは、仮のペーパーを提出し、キープインタッチして大学に戻り、時間を掛けてでも中身のあるものを完成させて再提出すること。大学に戻って時間を掛ければ、俺だって。英語は、名のある文献から同じ型の表現をいちいちパクればいいんだ。

そう思い立ったのが終了一週間前、まずはジャブを放つ。あまり遅くなりすぎるのは困るという上司。なぜかと聞くと、それはプロフェッショナルじゃない、とのこと。100%正しい、困った。そうですか、と言って戻って戦略を練る。必要なのは、現在あるペーパーに少なくとも可能性の片鱗を魅せること、さらに帰国後も確実にコミットして提出に漕ぎ着けると説得できる何かを出すこと、最後に熱意だ、と思った。それ以外は思いつかなかった。

最初の点はカバーする文献の数で勝負だ。作業時間を、単純に最大化する。実はこの点は、延長線ミッション開始前にも意識していて、低い分析力と少ない経験と浅い洞察は、物量でカバーじゃ!と思ってひたすら目を通す文献数を増やしていた。それと、「人となるべく会う」を両立する厳しい戦いだったが、なんとか持久した(途中で生産性が落ちる時期は正直あったが、完全ダウンは厳禁だと直感して、思い切ってしっかり寝たりした。ストレスなのか心労なのか、しっかり寝たのに疲れが取れない時は、連日になろうと寝て負荷を調整し、しっかり一定のバリューを保つことを意識した。)。

二つ目及び三つ目のために、世銀の将来の学会をネタにした。11月に世銀で法と正義と開発についての一週間にあたる長めの学会があり、授業があるし航空費もしんどいので行かないつもりだったが、これに行くことにした。僕がやってるリサーチ2つのうち1つは、その学会向け研究プロジェクトの片割れだった。この11月の学会に行く。今は9月後半。これで、相手のBATNAは分からなかったけれど、自分のやれるスピードを考慮し、10月中旬に提出でどうかと提案することにした。ボスに会う。自分の世銀のプラクティスへの理解と共感と批判を伝え、今後の世銀の動き、特にScience of Deliveryについての自分の見解を語る。この文脈とダイナミズムを最近ようやく理解したと伝え、これを反映してペーパーをしっかり仕上げたいと熱意を伝える。11月の学会を見据え、それまでに確実に完成させ世銀に舞い戻ってきてディスカッションしたいと言い、10月中旬を提案する。

少しの沈黙のあと、了承の言葉。それから涙が出そうになる、インターン後もドラフトを出すたびにピア・レビューをしてくれるという言葉。そして、本当に泣きそうなぐらい感謝でいっぱいだった、最後の最後のレクチャー。僕にとって教授として出会ったボスは、最後までやっぱり教授だった。この最後の最後のレクチャーについては、また別稿で書きたい。幸せな時間。世界が静かで、でも自分とボスだけ奮い立っている、そんな感覚。そんなこんなで、延長線が始まった。まだまだ忙し楽しい人生になっていきそうだ。

彼我の実力差は厳然たる物で、敗北感は残っている。それを乗り越えたと思えるのは、その環境と自分の実力を見比べて考えられる最善策を弾き出した感覚。誰に相談しても、それは無理だと思うと言われたことを交渉してみたという、海外でたぶん必要なワガママさ。確かに時間通りに完璧なペーパーを出すのがプロの仕事で、まだプロになりきれなかった自分の弱さは真正面から見つめないといけない。その自分の現状の弱さを噛み締めて、でも最大限の結果を残すために、普通のコンテクストをちょっとだけ破ってみたこと。世銀に対して具体的な成果を残したいという、最初から持っていた目的を首の皮一枚で延長戦につなげたという意味での限定付きの「結果」。うん、まぁ、100点じゃないけど、悪くもなかろうと。そう思うわけです。らんま1/2じゃないけど、ここから先は「延長戦」。もうちょっと戦い続けます。

夏の短期世銀インターン7

昨日の晩に考え事をし始めたら止まらなくなり、2時間睡眠で出社した。元も子もない。三日坊主状態になっていた朝のジムの習慣を復活させよう。


8月16日
恒例のブランチ。以前、僕が英語を間違えて失礼な発言をしてしまった人に遭遇する。あれからぎくしゃくしてしまっているような。あの瞬間に謝ったのは確かなのでどうも再度そのことに触れるのは違う気がする。とにかく、ミスの上塗りをしないように誠実に話すことかと思って話す。なんだろう、こんなとき、やっぱり相手が日本人だったならもう一歩踏み込んで無理やり解きほぐす力があると思う。それが日本で時間を使いすぎてしまった自分の弱点なんだろうか。ひとつひとつ、恥を書きながらトライアンドエラーをしていくしかない。それでも、多文化の中で、自分とぜんぜん違う人に囲まれながら化学反応の可能性を見据えていくのが好きだ。この刺激を味わってしまったら、日本はなんか物足りない気がしてしまう。


それから、法務部の実質トップの方がふらっとフルーツをとっている僕の目の前に現れた。とっさに挨拶したものの、二の句が継げない。質問できることはたくさんあったはずなのに、とっさにその威光を前にすると、なぜか当たり障りのない話をして、冒険をしなくなってしまう。ひるむ。これは場数を踏めばなんとかなるものなのだろうか。今のところは、やはり事前の準備をしておくことぐらいしか思いつかないので、次会ったときは中身のある会話ができるように用意をしておこうと思う。


このような大組織のトップに近い立場に立つ人と話す、という経験は、振り返ってみるとほとんどない。大学の頃はあまりアクティブな人間ではなく、大学のガラパゴス化した世界を存分に楽しんでいた。日本の芸能界のような、スーパーハイコンテクストのコミュニケーションに埋もれていて、それはそれで楽しかった。しかしこのような場面になると、経験の甘さが露呈する。近い経験と言えば、名古屋大学の濱口総長とパネルディスカッションで話したことがあったが、そのとき僕がした質問はふたつ。名古屋大学の法整備支援プロジェクトを引き合いに出して、日本の国益と他国の利益が衝突したときに日本のリーダーはいかに行動するべきか、という質問と、人生の岐路に立つような場面で、今までどのような考え方を持って決断を下してきたのか、という質問。どちらも面白い回答を引き出せたのでよかった。ここから学べば、自分の得意分野に無理やり引きずり込むこと(1つめのパターン)と、リーダー論や人生論など一般性の高い話題を持ち出すこと(両パターンとも)か。こんな質問をブランチの時間にしてどうする、という嫌いはあるが。頭の片隅に入れておこう。


初めてIFCの方に行った。IFCはIBRD/IDAが入っている本部からは数ブロック離れていて、建物は本部と比べると重厚で歴史を感じさせる。僕の研究課題のケーススタディがインドネシアというよしみも手伝って、近々インドネシアに赴任される方とお会いすることができた。世銀と比べたとき、IFCは数値化された融資のポートフォリオがあるから結果を基準にしたオペレーションで業務改善が目に見える形で進んでいて、世銀に比べれば意思決定も早く官僚的な組織も改善されているという。しかし、まだまだ意思決定の遅さなどが感じられるとのこと。僕がいる世銀の法務部は組織はかなり官僚的だし、司法改革部門なんかは、インパクトを数値化しづらいしするべきではない場合もあり、結果として漫然としたオペレーションになってしまいがち。評価学という学問分野を形成して研究が急ピッチで進められていて、法の支配指数、なども開発されているが、批判も強い。法務部以外も含め、官僚的な組織構造についてはいまメスが入れられているそうで、来週お会いする予定の人はおそらくその部分にも絡んでいるはずなので、今からお話を伺うのが楽しみ。


それから、その方が以前ブータンという国に行かれていたこともあり、僕のミャンマーでの経験を引き合いに出して、宗教がいかに人の行動準則として機能しているかという話をした。しかしブータンでも最近ではインド・中国に挟まれる環境も手伝い、拝金主義に近い考え方が人々の行動に影響を及ぼし始めているということ。これは東南アジアで言うとラオスが好例で、中国の影響をもろに受け小乗仏教に支えられたのどかな文化が失われつつある。しかしそれが経済発展には必要で、ゆくゆくは人の幸福に繋がりうる。何が本当に人々の幸せになるのか、というのは、つねに頭を動かし続けてパターン化思考を避けなければならないテーマのひとつだ。少なくとも格差の回避を実現した資本主義社会が見られない以上、単純に資本主義の波に飲まれていってしまうことが、国民全体の幸せにそのまま繋がる道ではないというのは明らかだ。このブータンの話をもっと伺いたかったが、いつのまにか僕の進路相談になってしまっていて、ちょっと後悔している。


今日リサーチの過程で関連する論文を読んでいた。腐敗の分野は経済学からの分析が主体で、完全情報を持ち自らの嗜好を理解して合理的な判断を下す人を想定して、そのベースをもとに研究が成り立っていく。その大胆な想定を確信犯的にすることで、仮初の検証可能性を高めた経済学は、自然科学に最も近づいたとされノーベル賞の地位を与えられている。その想定はもはや昔の話で、行動経済学などは、それを崩してモデルを現実に近づけようという努力のひとつ。さて腐敗は、この古い経済学のベースから出発してインセンティブモデルを用いて、不正を働くことで得られる利益が、不正のリスクや賄賂額などを総計したコストを上回るから発生する。だから解決策は、腐敗のコストを上げることを考えて生まれる(利益を下げること、というアプローチも理論上あるが、現実的でない)。しかし、最近の腐敗研究は見直され、腐敗の発生メカニズムを単純な費用便益分析で説明することを疑う。人の行動を決定するメカニズムを因数分解してより厳密に分析しようとする。その修正のひとつとして、宗教が行動に与える影響を勘案する。上の宗教が行動準則となるというエピソードと関わる。宗教は本当に人の行動を変えると実感しているから、この論文の新しいアプローチもリアリティを持って読める。これが現場を見る大切さってやつだろうか。人の行動準則の解明なんて、冷静になると嫌らしいことをやっているもんだ。そして、毎日生きていてその複雑さはもちろん実感する。例えば、日本企業で一回も働いていない僕が、世銀を6時に退社することに罪悪感を覚え、ときに残業する、この現象はどう説明がつくのか。これをモデル化できるのか。もうちょっと理論動向を追ってみたい。


以下はよもやま話。人が年齢を重ねるにつれて新しいことへの順応力を失っていくのはなんでか、という話を同僚としていた。急になんやねん、と煙たがられたが。面白いディスカッションだったので書き留めておく。まずは自分のダウンタイムを充足する好きなこと、趣味などが、大人になると大概特定されているから、好奇心旺盛に新たなものを求めるインセンティブが減るといこと。そして二点目は、第一のインセンティブ低下に引きずられてできないことを一から学んでいくという機会が圧倒的に減り、学習能力が錆びついていくということ。裏を返せば好奇心旺盛に新しいことを求めていく姿勢を忘れなければ、若い柔軟な思考を保てるかもしれない。それから、画一化された生活パターンというのも手伝っているかもしれない。一定の生活リズムを保っていくのが楽でかつ一日の効率向上に繋がることは誰もが経験的に学んでいく。新しいことを導入するとそのリズムを崩すことになる。だからなおさらインセンティブがない。(なんか書いてみるとあたりまえすぎて申し訳ない気分。)大学院になって時間のあいまを縫って何回かカポエイラ教室に通った時に、あまりに何もできない自分に、久々の感覚を覚えたのを今も鮮明に思い出す。大事なことを思い出すきっかけになった。そしてまだ、なんとなく上達するためのパターンを体が覚えていた。アラビア語を勉強し始めたときもそうだ。着実に努力を重ねてできないことをひとつひとつできるようにしていく肌感覚は、ずっと持ち続けたいし、そういう機会は意識的に作り続けたい。

夏の短期世銀インターン6

決断をするときにどのような判断基準を持つか。他の人からアドバイスを受けるにしても、最終的には自分で決断を下すのでなければ、どこかで甘えが出てしまうったり失敗を人のせいにしてしまうかもしれない。「死ぬときに後悔するような生き方はしない」は、明日お会いする人を調べていたら出てきたのだけど、今までよく考えてきた「自分の直観と共鳴しているかどうか」や「ワクワクするかどうか、面白いかどうか」に合わせて取り入れたい視点だと思った。この考え方は決断後の覚悟、後悔しないと決めて行動する、ということにもの繋がる。決断のとき以外にも当てはまる行動準則。


8月15日
リサーチタスクが安定化したことと山を1つ抜けたことで気が抜けたので、朝から少し能率低めだった。しかし午後のGACチームミーティングに備えて徐々にギアを上げていく。相手にとって魅力的な研究トピックを提示することの大切さは大学院でも口酸っぱく習っていたので、その訓練の成果を多少なりとも発揮したかった。世銀の反腐敗におけるプラクティスの現状について、理解レベルは完全とは言えないもののかなり向上しているつもりだった。そして世銀の調達ポリシーや、独立の腐敗調査機関(Integrity Vice Presidencyという、リーガルと組織上同等の立場にあるディビジョン)の動向もある程度はカバーして、自分が短期間でも貢献できる部分を探っていくつか提案した。


結果としては、僕の提案したものを軌道修正する形のプランを1つ、ボスたちから他にいくつかのプランが出た。これからそれらの研究の実現可能性を基礎的な文献調査をして検証し、1つあるいはいくつかを重点課題として取り組んでいくことになる。つまり、まだ何をするかは確定しなかった。これはぶっちゃけかなりまずいと思うし、提案をしっかりまとめ上げ切れていなかったことを後悔した。ボスたちが挙げてくれたその他のプランは、僕の頭の中にはあったものの有効な研究課題として提案に載せていなかった。これは、世銀のプラクティスの文脈及び議論のフォーカルポイントをしっかりと理解しきれていなかったことを示している。これ以上時間を掛けることができなかったかといえば嘘になる。まだまだ時間はあるので後悔の無いように動かなければ。(余談だが、チームで実質的な内容を議論したのは初めてだったが、いつも眠そうで気楽なボスの本気をちょっとだけ見た気がして楽しかった。)


ランチで日本人弁護士の方とスイスのリーガルアソシエイトの方とお話した。わりと、取り留めのない話をずっとしていた。大学ランキングの出し方はどうなっているのだとか。文系のランキングって、教授の書いた論文の引用数が大きなファクターだったと思うけど、英語で書かれた論文は多く引用されるだろうから日本の大学は上位に入らない。でも特に法学やるならば法域によって独特の法体系が育っていてそれに対応する個別的な議論は法学の中心を占めており、他国の法域に基づいた論文からの引用というのはあまり多くはありえない。つまり、日本法についての論文はアメリカではほとんど引用されない。もちろん僕が中心的に研究している法移植だとかの比較法の分野や、あるいは国際法・国際仲裁などはボーダーレスな議論が成されるが、それでも法学全体では小さい部分を構成するに過ぎない。大学ランキングの信用性はどうなんだろうか。そんな話をしていた。


リーガルアソシエイトというのは世銀の法務に入るためのひとつの登竜門で、2年間オペレーションチームとリサーチチームに1年ずつ入って経験を積み、任期満了前に空きポストがちょうどよくあれば継続して雇用される。リーガルアソシエイトになること自体が天文学的な競争率で、なおかつなった後も空きポストは非常に競争が激しく残るのはかなり難しいとのこと。今日話したスイスの方も今年の10月からは本国のローファームに戻って仲裁のプラクティスに戻るらしく、世銀での経験は経験としては素晴らしいものだったが、それが近い将来に直接的にキャリアを変える契機にはならなそうだと話していた。


スイスのジェノバの話を少しした。僕はまったく知らない話だったが、ジェノバには物件が少なく家を探すのがとても大変とのこと。スイス人であっても、大家とのコネがあるか、あるいは諦めてかなり高い家賃を払うかしないと入居できないらしい。この状況はパリも一緒らしいが、本当なんだろうか。それから、彼いわく、DCでの生活はジェノバの数倍楽しいと。ジェノバでは店はすべて6時ごろには閉まるので買い物を夜遊びもしづらい。最近はネットでみんな買い物してるって。なんかいろいろ想像できないが、確かに昔Vis Mootでウィーンに行ったときにもスーパーの閉まる早さに驚いた記憶がある。あの感じか。


スイスといえば国際機関が集まるハブ都市で、僕は勝手に外資系のローファームも多く進出して国際法に関する業務を遂行していると思っていたが、どうやら人口も少なく国際機関があるといっても仕事の量がたくさんあるわけではないので、外資系のローファームはあまり見られないそう。ベーカーアンドマッケンジーぐらいしかないよと言っていた。スイスのローファームで国際法を中心的なプラクティスにしているものは多く、またNY(同じく国際的なハブ都市)のローファームとJVを組んでいるところなどもあるという。以前の日本のように外資系ローファームに規制が掛かっているわけではないらしい。


それから世銀で安定した職を得た法務部職員はかなり離職率が低いということについて、その理由はやはりワシントンDCでの生活がそれなりに充実したものであること、給料がよいこと、勤務時間が短くワーク・ライフ・バランスが容易に保てること、があるという話を伺った。それから仕事の社会に与えるインパクトの大きさから充実度も増し、最初にずっと残るつもりで世銀に来た人ではないにしても、結果として残ることになる人が圧倒的に多いのだという。だから、世銀法務部で空きポストを見つけるのは本当に難しい。ちなみに、IFCはもっと難しいと伺ったが、どうなんだろうか。


僕はいずれにしても、YPPやJPOを考えたり、あるいは法務のリーガルアソシエイトを狙ったりするにしても、経験が足りないし年齢が若すぎるから(これは直接言われもした。というか、僕を連れてきてくれたボスは最初の方で"Don't talk about your age! hahaha"とか言ってた)、まだ切迫したものとしては考えていない。将来応募することはあるかもしれないから、その前に肌感覚で職場を体験できたこと、上司を知れてネットワークを築けたことは財産になった。インターンはまだまだ続く。進路は未定だけど、こちらに来て一番実感するのはやっぱりどんな組織も入ってみないと実情はわからないということ、そして、自分の研究分野にこだわりをもってそれを貫いて強みにしていくのは大事な方向性だと思っていたが、一方で一度産業界に出るなどしてみるのもいいと考えるようになった。いろんな人と話して、やはり知らない世界が多すぎると感じる。開発政策系の仕事に軸を置こうとして、政治学や法学のバックグラウンドを築いてきたが、それだけだと今の政策動向や、社会へのインパクトの与え方を完全には理解できない。企業や市民社会が政策形成・国家運営に巻き込まれるのが常態化しているのだから、そちらの分野で働いているロジックも理解できていないと、論文を書いたり政策を提言したりしても的はずれになってしまう。何より、まだ知らない分野があるということは、他の分野に惚れる可能性もあるということ。自分の積み上げてきたものを大事にしながら、考えながら進んでいけば、いつか自分にしかできないような、誇れる仕事ができる気がする。


すごい夜更かししてしまった。明日ヤバイ。おやすみなさい。

夏の短期世銀インターン5

たくさん働いた日。一日の終わりに大事な期限があったもんだから、基本ずっと荒ぶっていた。

8月14日
今日はリサーチの中間報告が夕方に控えていたので、朝からそれをまとめあげて精緻化していく作業。早めに情報収集にケリをつけてまとめあげる作業にしていく予定だったが、中間報告に過ぎなくて忙しいボスが僕の書いた長い文章を読むとは思えなかったし、世銀が形式に頓着しないことも学んでいたので、内容重視で魅せるのはプレゼンでなんとかすることにし、引用などの形式を整える時間を省いて情報収集を続けた。結果として提案した僕のリサーチ方針は全体として受け入れられたので、多少の修正をもとに、今後はこの道筋にそって議論を深めていく作業になる。議論の枠組みが固まってあとはそれにあてはまる既存の議論をレビューする作業が中心になるので、難易度はぐっと下がる。だから、こちらのリサーチに掛ける時間は今後ぐっと落ちて、もうひとつのオペレーションチームでの活動に重心が移ると思う。こちらのミーティングも明日に控えているので、帰宅後はいそいそとそちらを準備した。


方向性が受け入れられたこと自体はよかったのだが、今回のボスとのミーティングでは、あまり勉強になるアドバイスを受けることはできなかった。薄々は感づいていいたのだが、このボスは僕のことを世銀に連れてきてくれた恩人なのだが、彼が僕に振っているタスクはどのチームにも属していない独立したものである関係で、リサーチに必要性に駆られたプレッシャーが掛かっていない。ボスと僕の一対一の作業で、ボスの中では、言ってしまえば僕のような修士号もない者が作るサーベイペーパーなどが有効な基礎調査として機能するとはあまり考えておらず、こちらの研究をやりつつ世銀に身を置くということの意味を考えるだとか、リサーチの演習を積むだとかの効果が出ればよいと思っているのだと思う。今日はボスは休暇の前日で、僕は緊張してプレゼンに向かったのだが、一方でボスはかなりオフモードで僕の方向性を理解して承認した後は、僕がお土産で持って行っていた抹茶わらび餅が家族に好評だった話などをしてきた。


やはり、僕は世銀から給料ももらっていないし、お客様に近い扱われ方をしている。以前他の日本スタッフの方から伺ったが、例えば政府から出向などで期限付きで来ている人も、お客様のように大事にされるので、刺激的な仕事や責任感のある仕事があるものはないという(出向者の給与体系の規定があまりよくわかってないのでぼやっとしてます汗)。国一を受けて出向、というルートで国際機関に行くルートにはこのような欠点?もある。ボスの休暇の直後に僕の最終レポートの提出があるが、このままそれを出したのでは学びが極小化されてしまうと恐れたので、最終レポートに対してボスにコメントして頂き、それを反映して最終版を完成させるという約束を取り付けた。これで僕の書いたものにすべて目を通してもらえることになったので、あとは持てる力を吐き出すのみ。


今日は帰宅後のリサーチがかなり捗った。学校の課題が遅れていたのでそちらを行ったが、世銀でやらされているのと同じ手法をとってみたところ、今まで気がついていなかった情報が得られた。今まで自分は、学者の用意したペーパーを重点的に見るものの、国際機関やNGOの出版物にあまり注意をはらっていなかった。こちらは学問的な厳密さは劣るものの、昨今のトレンドを追うことができ、それを抑えることで時代遅れの議論を防いだり、また広い視野を得れる。広い視野というのは、自分が論文で読んでいて考えている政策手法が、どのような政策カテゴリーに属していて、近接する手法にはどのようなものがあるか、などの情報をわかっていることである。これがわかると、新たな学術論文探索の足がかりになる。世銀にきてはじめて、リサーチのためのイロハを体得していっているようで、ここでやることじゃないような気もするが、そういう余計なことは考えないでおこう。


ちなみに、学校の課題はいくつかあって、今やっているのは環境保護の規制の実質化がテーマで、フィリピンの鉱山開発がはらむ問題とその解決策についてグループリサーチを行っている。僕が担当しているのは共同規制的なアプローチで、これは企業による自主規制をも含む概念で、政府の監視力や規制を行使するキャパシティが低い場合に、企業にイニシアティブを取らせつつ一緒に規制を実質化しようという手法。市民社会も議論の枠組みに加わって、複雑だがイノベーティブなアプローチが生まれている。ISOのような標準化とは似て非なるもので、それとの違いを分析したり、融合を考えるのが難しい。共同規制の概念は他にも、インターネット上の規制などで用いられていて、昨今の議論状況はむしろこちらのほうが熱いのではないかと思う。


おやすみなさい

夏の短期世銀インターン4

豪快に洗濯して、部屋中にいろいろなものが干してあるホテルルームより。


8月10日
議会図書館に行くものの、リサーチャーとして認めてもらうことができずに勉強は横のカフェで。図書館立派過ぎる。"I cannot live without books."って名言が有名らしい。本が嫌いでゲームばっかやっていた自分が今や一番本を読むであろう文系大学院生という身分など、人生何があるかわからない。吉田拓郎も今日までそして明日からで歌っているけど、人はいつ変わってしまうかわからない。だからこそ一瞬一瞬を大切にしたい。…今日、すごく寝坊したんだけど。


8月11日
夜に同僚と晩飯を食べた。基本オフ。気づかれがすごくて今日もよく寝た。観光する気もあまり起きなかったが、なんとかいくつか回ってみた。ケネディ・センターで無料のコンサートをやっていたので、そこに行って、ついでに日本が寄贈したというコンサートホールもツアーに参加して覗いて来た。待合室の壁が全部紫色でした。観光ブログは競合が充実しているから、あまり書かないです。気合入れて仕事をすることはなかった。やったことと言えば、世銀でリサーチするにつれ広がった情報に網をはる作業(メルマガの購読とか笑)をしたのと、学校の課題のリサーチを若干進めたことぐらい。学校の課題のリサーチ、意外とヤバイことに気づいたけど、来週後半以降に持ち越し。なぜなら来る14日に最初の簡易報告があるから。ほんとーに簡易、だけど、でも緊張する。


8月12日
月曜は朝にチームのミーティングがある。ミーティングにはアジェンダもなく、チームのメンバーひとりひとりが前週にやったことと今週にやる予定のことを報告して、それに対してボスが何かあったら付け加えて、あとは談笑するだけというゆるいもの。チームミーティングには7人の参加者。チームのスケールは10人前後のものが多い。僕の所属するGAC(Governance and Anti-corruption)チームでは、10人前後の中でタスクごとに2〜3人を割り振っている。人によって負担量に揺れがあるが、基本的に何かをやりたいと言えばやらせてくれる雰囲気(自分は手一杯で、もうこれ以上は増やせないからおとなしくしている)らしい。

キャリアもそうで、たとえば司法改革関連のリサーチに進みたいとか、環境関連のオペレーションに行きたいとか、希望する部署やチームがあるなら、そのグループを率いているリーダーに近寄って簡単な仕事から回してもらって顔を売っていく。だいたいそのボスが人事をコントロールできるから、これが効果的。組織の外から押し付けられる移動はトップ以外にはあまり適用されない。それぞれがいかに自分のキャリアの先を見据えて水面下で動くか。

法務部の別の日本人の方にも挨拶にいった。これで二人目。おそらくいちばんお若い方で、Legal Associate制度で加入された方。歯に衣を着せない話し方で、また、僕がここにインターンにくるきっかけをくれた先生を日本に派遣するという交渉のときに水面下で動いてくれていたらしく、つまりこの先生がいらっしゃらなかったら僕は世銀には来れなかったかもしれない。深謝。今週の木曜にランチの予定。


8月13日
一日リサーチにかじりつく。特に、明日に中間簡易報告を控えているリサーチタスクの方について、まだレビューできていない文献を大急ぎでスキムしていく。直前まで手を広げて、一気にまとめ上げる形になりそう。今回の報告で方向性を絞って深いリサーチに入るので、多くを視野に含めてバランスのいい議論を提案することに重点を置き、体裁は現場でのべしゃりでまとめあげる戦法。だいたい議論の流れは見えているけどあとひとつだけ、どうしても潰したいのだけど英語がラリっていてかつ冗長な文献を先延ばしにしていたら残ってしまい、夜中の脳みそでは解読不能だった。明日は早起き。明日はちょっと楽しみだ。…ぼかしすぎてなんのことやらだけど、内容についてはまたゆっくり他で書く。

あと、別のタスクのほうの大ボスは体調を崩したらしくスケジュールが一日後ろ倒しに。もう一人、間に入ってくださっている上司の方もかなりお疲れの様子。この反腐敗の分野は議論の盛り上がりとか、新しいイニシアティブとかの生成が最近半端無くて、議論動向と実務動向を追うだけでも一苦労、というか、それができたら世話ないでしょというレベル。最後に、僕がまさにいるそのGACチームの外部用ホームページのリンクを貼って終わります。

Governance and Anti-corruption, Legal Vice Presidency, the World Bank


今は夜中12時ジャスト。雷を伴う豪雨が来てたけど収まって静かになった。Youtubeさまぁ〜ずの逆にアレだろを聴きながら眠りに落ちます。

夏の短期世銀インターン3

今でしょ!はなかなか廃れませんね。しかし僕は、桜木花道による往年の「俺は今なんだよ!」のほうがやはりシックリきます。なにって、今インターンしてる環境は本当に恵まれているなぁと今日改めて思って、俺は今なんだよ!!って気分になったのですが、一方でこれが本当に全盛期にならないように、結果をのこしたいと思うのです。結果でしょ!

今日は失敗もあったけど、出会いが多く、また研究も集中できていい日だった。夜はゆっくりしようと思う…はずだったのだけど。この続きは最下部に。とてもインフォーマティブな日だった。


8月9日
金曜朝はブランチがあってネットワーキングのいい機会。二度目のブランチ。しかも今日は寝坊して朝ごはんを抜かざるを得なかったから、ちょうどよく大量にフルーツを頂いた。まだまだ話したこと無い人、初対面の人の方が多い。世銀のリーガルスタッフは250人超いるんだけど、今はプロジェクトの隙間にあたる夏休みだし、金曜を休みにして三連休を作る人が多いそうだから、基本毎日くるリーガルアソシエイトと忙しい部門の人しかおらず、ブランチ会場には10人前後の人しかいない。まだまだ、出会えてない人はたくさんいる。英語を間違えて失礼なことを言ってしまったことがあってかなり反省した。世銀にきてまで、英語を勉強しろといわれるとか…勉強します。できないものはできないのだから。

LLMの話をいくつか聞けた。ハーバードLLM卒の方は、国際法をあえて専攻せず、変わりに私法と公法をバランスよくとって、卒業の暁には私法方面と公法方面の両方に幅広く就職活動を展開した結果、世銀にちょうどいいポストを発見したという。またNYUのLLM卒の方が言うには、バーを受けるためにはアメリカ国内法の授業を一定数とりつつ単位も多めにとらなければならないが、あまり興味がないし試験受けるのにお金がかかるから辞めたそう。ふたりとも口を揃えたのは、LLMはやはり一定の職業経験を持ってから行くのがよく、またキャリアの観点ではいい方向転換の起点になるとのこと。最初の職場に飽きてきたら、LLMに飛び出してキャリアを捻るのがよいと。日本でこんな考えを持っていたらどこも採用してくれなさそうだが。MBAや他のプロフェッショナルスクールについても同じ事が言えると思う。

DC開発フォーラムのメーリングリストの管理人をされている方とランチをご一緒した。世界の国々の経済指標(Worldwide Development Indicator)を作るデータ部門におられる方で、僕は経済音痴で浅学っぷりを晒してしまったが、気さくな方でざっくばらんに話をして頂けた。日本人で固まってはいけない、を履き違えて、日本人と接触しないように行動していた自分だったが、冷静になれば、同郷の人とのネットワークほど築きやすいものはないのだし、せっかく日本から来たのに日本の皆様にご挨拶しないのも失礼だろうと考え直して。日本の皆様にもご挨拶差し上げて顔と名前を覚えてもらえるように頑張ります。夏休みだけど。

さて、話の内容に戻ると、世銀一般の話と僕のキャリアの相談をさせて頂いた。勝手なイメージで世銀にいるエコノミストは皆Ph.Dホルダーかと思っていたけど、それは違っていて、トップ層は確かにドクターを持っているが、他はそうでもないとのこと。ただし、マスターがいわゆる学部卒のように扱われていて、学部卒だと日本で言う短大出のような扱いで、事務職ぐらいしか得る機会はない。やはり、マスターは実質的な開発の仕事に関わるにはマストのようだ。それから仕事環境についてはやっぱり日本人には慣れにくいという話をしていて、残業しているのはいつも日本人という話も伺った。

世銀の職は基本的にテンポラリーで、いつ仕事がなくなるかわからず、また別のケースでは部署がまるごと無くなったりするなどもあり、安定していなくて、世銀の30代の方々は皆不安と闘いながら仕事しているとのこと。職を失った場合、CVに世銀の職務経験が載っていても大した効果はない。世銀で重要な仕事を残していたり、トップに近いポストにいたりしたのでない限り、単なる世銀の職務経験は評価されない。それは、勘がよければ組織に飛び込むこと自体はそこまで困難ではないからだ。僕のように。だから、持続的なキャリアを作るならば、成果を出していく必要がある。


その後、リーガル部門の日本人の方にも今日はじめてお会いした。日本人はリーガル部門には4人いて、全員が女性。その方は環境法を担当していて、軽く挨拶をさし上げただけだが、とてもよくしてくださった。相談しやすい方ができたのでひとまず安心だ。世銀のリーガルアソシエイトなどに行くのは宝くじに当選するよりも確率の低いことなので、僕が来ていることに素直に驚いているそうだ。僕だってまだ、驚いている。リーガルアソシエイトではない、単なるテンポラリーインターンだとしても。そして、世銀に来るのは本気で優秀な方かラッキーな人とおっしゃった。運も実力のうち、ですよね。僕からは最近の日本の司法界の動向をキャッチアップさせて頂いた。また、ゆっくりお話したい。


仕事もある程度進んだので、よしよしと帰ろうと思ったのだが。著名な反腐敗の国際機関やNGOの戦略を洗うのが今の主な作業で、UNODCという機関、僕のブラインドスポットに入っていた。というか、勝手に甘く見ていた。しばらく覗いて、あまりの情報の集約具合に驚く。計画が大幅に狂った。明日か明後日、どちらか出勤するなどしてまとめ上げなければ。浅学非才な若造は、やっぱり、時間をかけるしかないのだろう。この初歩のミスで、環境は人を急には変えたりしないというアタリマエのこと、また自分の未熟さを感じ入ったので、ちょっと今週末はがんばります。Jack dull boyにならないよう、遊び心を添えて。明日はLibrary of Congressで作業してやろう。
トマス・ジェファソン館、ジョン・アダムス館、ジェームス・マディソン館のみっつがあるらしい。どれにしようかな。この政治家の名前を随所に使う文化(ケネディスクールとか)、カッコよくて好きだけど、アメリカ人はどう思っているのだろうか。

夏の短期世銀インターン2

毎日日記を書いて、ある程度いったら掲載することにした。と思ったら、2日である程度いってしまった。
どんどん日記帳に、どんどん備忘録的に、どんどん公開価値の無いものになっていく笑 まぁそんなもんでしょう。責任感のないブログですいません。

8月7日
朝からリサーチを継続する。現在は、オペレーションチームの方のタスクは与えられた図書を読むだけなので眠くなりがちで、リサーチタスクの方は能動的な文献調査が必須になっているから目が覚める。そこを組み合わせて能率を確保。しかしたまらずコーヒーを二回注入した。

上司には一喝を頂いた。リサーチの進捗具合が遅く、また焦点の定め方がヘタクソなことを指摘された。またBBL(世銀内のランチイベント。今は、夏休みだから少ないのだけど。DCフォーラムとかも主催してたりするらしい。)やIFCのイベント等に出向いて法務以外の情報を得ることも大切だと言われ、視野狭窄にリサーチのみを行なっているだけだと機会を逃してしまうと。リサーチからいかに学びを得るかに終始していた自分の心構えの甘さを反省した。

自分の仕事内容をよく理解していてなおかつ管轄・指導してくれる立場にあるボスがいるときは、恐れをなさず質問に伺うことが大切だと実感した。がっかりされたり喝を入れられたりするけど、今の自分の脳力は急上昇しないのだから、フィードバックはどんどん得なきゃいけない。自分でしっかりできているつもりでいても、時間をとってもらって進捗報告をするといい。自己管理は概して不十分だから、新たな視点を見出すことができる。また、ボスとのミーティングはアウトプットのデッドラインとして働く。つまりミーティングを設定することにより、学んだことを体系立てて吐き出そうとする努力がなされる。インプットが不十分であっても時にはそれなりのものを創りあげなければいけないことがあるので、この訓練はきっと役に立つ。


8月8日
今日はカフェテリアで日本人スタッフに初めて出会った。日本語が聞こえたからつい話かけてしまった。インフラユニットの電力部門の専門家をされているお二人。組織の官僚的な体制については僕と同じ意見を持っていて、日本のJICAのような組織の方がよほど働きやすいと言っていた。また、腐敗関連の話題を持ちだしたところ、世銀内部の取調べ機構もすべてのケースを取り扱うには到底人財が不足しているので、発表されている腐敗の事案よりも多くの問題が実際上はあるだろうとのこと、また、構造的に腐敗は一生無くならないだろうともおっしゃっていた。もう少し話したかったが、別の用事が迫っていたのでそこで失礼した。日本人の若手のハブになっている方をご紹介頂いたので、明日ランチでお会いする。楽しみ。

決まった予定もなく静かな日だった。一日中、デスクでリサーチを行なっていたが、メリハリを付けないとなかなか難しい。やはり、自発的な期限を設けるべきだと考え、上司のアポを夕方遅くにとって質問をするとして、それまでに質問を用意できる読み方をするというふうにして刺激を加えてみたが、裏目に出た。アホなことに、質問がまとまらないまま行く時間になってしまって、バカを露見してしまった。しかし前向きになると、コミュニケーションを重ねることができたのはよかったし、別のフロアに赴くと新たな出会いがあっていい。なおかつ、自分の短いインターン期間に鑑みて、世銀のマイルストーンに従っていると面白いリサーチ機会を逸してしまいそうなことが見えていたので、無理やり自分のリサーチタスクをねじ込めないかという交渉もできた。雑な質問をした後だったから、交渉力がなかったけども笑

短期のインターンだから、短い周期で振り返りをして改善をどんどん重ねていく必要がある。そう考えていたのだけど、考えすぎて、業務中もそういったOS的なことを頭が考えだしてしまって文献への集中力が落ちた。我ながら、アホで不器用だ。振り返りはホテルでこの日記でするから、世銀では職務に集中しないと。

組織の中に入ってみないとわからないことは果てしなく多い。世銀のような透明性を重視している国際機関でもそうなのだから、一般企業だとさらにそうなのだろう。キャリア形成もイメージだけでなく、チャンスを幅広く見つけ出す心構えを常にもって、多くの現場を見る機会をもって、能動的にいかないと。それでなくてもニッチな路線に片足を突っ込んでしまっているのだから。

あと余談だが、世銀は情報の宝庫ではあるが、その積み重ねの仕方が限りなくヘタクソな感じがする。リーガル部門の話にはなるが、組織の知識集約部門の首がスゲ変わったり、世銀の中でのブームになっている概念が切り替わるたびに、情報の発信方法が変わっている。昔、”Rule of Law”がキーワードだった時代は、それを念頭に探さないと情報が出ないし、最近は”Justice for Poor”や、その他2つぐらいのキーワードが旬で、それを念頭に置かないと情報がない。一方で、それらすべてで、例えばADB(Alternative Dispute Resolution)の重要性は議論になっているが、それを横串にして横断的に検索する術がない。だから、キーワードを漏らすと、文献を漏らす。そして、そのようなキーワードの変遷を追った記事や文献が、ない。嗚呼。

人生プランやキャリア戦略を組むという視点で思うことは、大きなイベントが先に控えているとその先を見越すことが困難になりがちということ。僕は世銀に行く準備とワクワクと不安で直前期をのうのうと過ごしていたから、こっちにきて必死に次につながるアクションをひねり出そうとしている。先々のことを見越していればさらにいい準備ができていたはず。まぁ、人間、何かが始まってみないと必死にならないもんだし、あるステージに上がったからこそ次のステージを現実的に見据えることができる。でもそこを何とか、ね。


さてさて、買い物行きますか。以上です。