落書

何かに疲れたときに僕氏が何かを吐き出して現実に帰っていくための架空の場所です。

「物語に終わってほしくない」という癖

悶々として、2年ぶりに駄文をしたためにここに帰ってきた。別に、なにというわけでもないんだけど。

物語について。

物語は終わり方が肝心という。登場人物たちの「すべて」を語り尽くす手前で筆を擱くことで、「あのあとどうなったのかな」と読者に想像させて楽しませるという発想である。そう、余韻というやつである。
この余韻を味わうっていうのが、昔から苦手だという気がしている。何故そんなところで書くのを止めてしまうのか、といつも思ってしまう。その登場人物たちをもっと見ていたい、最後を見届けたい、と思う。いや、終わりなんて来なければいいと思う。思えば小学生の頃からそんな癖があった。

例えば登場人物たちの最後がとても想像できないような物語がある。「らんま1/2」では、あたかも終わりなきはちゃめちゃの日常がずっと続いていくかのように、物語は「進展」しない。たしかに登場人物は歳をとり、らんまは新しい技を覚えて強くなり、恋愛模様も移ろうが、しかしそれらすべてが永遠に続いていくのではないか、という印象を受けなくはないか。少なくとも僕は受けた。そして、このような印象は、「ここから先は、延長戦」という印象的な一言とともに物語が閉じられたとき、確かめられた気がしていた。小学生だてらに、本当にその後、永遠にあの世界のあの日常が続いていくのだと信じていた。

そのせいか、「余韻」って何なのか今だによくわからない。その物語の世界はしっかり、ずっと続いていくはず(と少なくとも僕は想像する)のに、「余韻」という言葉は、恰もそこに何らかの限界があるような感覚を生む。しっかりとした実線で描かれた世界が、筆を擱かれたところから段々と薄れていき、いつか光が届かなくなって消える、というイメージ。「余韻」という言葉からはそんなイメージを受けるが、しかしその物語の世界は永遠に続いていくはずじゃないか。作者が筆を擱いたというこちらの世界の事情に何故あちらの世界が影響されるのか。気に入らない。

きっとそんな妄想癖があるから、僕は「二次創作」とか「アニメ版オリジナルストーリー」とかが好きなのだろう。筆を擱かれてしまった、そのせいでこちらの世界から見えなくなってしまった物語が、実際はしっかり存続しているということを確認させてくれる。あるいは、シュタゲにあったような「物語の新たな分岐」も好きだ。ちなみに、原作と離れた二次創作やアニメ版オリジナルストーリーは、物語全体を揺らがしてしまうから苦手だ。原作厨乙。

さてなんで急にこんなことを言いだしたのか。論博士論文からの現実逃避なのだが、研究をしていると、「これだ!」と思う所に行き着くことがある。この視点をもう少し掘れば何かに到達するんじゃないか、とか、この分野をもう少し巡回すればブレイクスルーがあるんじゃないか、とか。
どうも、そんなときに、この「物語に終わってほしくない」という癖が出て来ているようなのである。というのも、最近気づいたのだが、そういう所に行き着くと、反射的に、「その先を見たくない」と思ってしまう。その先を見ると何かが終わってしまうと思ってしまう。そして集中力が霧散していく。その先を読み進み検討を続けるのに、一呼吸が必要になる。

この悪癖、感情の動きなので如何ともし難いのだが、実際のところ勘弁していただきたい。客観的に見れば、単に生産性が落ちているだけの現象である。しかしそんな理性でコントロールできるほど人間は甘くない。そして自分にはとことん甘い。

「これだ!」って思っていても、結局コレジャナイ、ってことが多いのも経験的にわかってきた。あるいは、実際に「これ」だったとしても、その先に新たな問題が立ち上がってくるのが常である。そして、学問/科学は(ほぼ)永遠に終わらない、というのもすくなくとも歴史が証明している。そう、マクロで見れば、僕は学問/科学という永続的営為が本質的には好きなはずなのだ。ここには、僕が死んだ後も終わらない物語があり、そこに何かを書き込むことは僕にももしかしたらできる。

しかし、日々のミクロなプロセスのなかで、小さい物語達の終わりを(誤って)直感したとき、ふっと引いてしまう。困ったものである。もう少しうまく機能してくれないか、理性よ。

という、2年ぶりに書いたものは博論の箸休めの愚痴・言い訳という、あまりにもアレな僕ですが、これからも真面目に頑張ります。博論終わらね(´・ω・`)

最近のGCMPは作り込みすぎ

関係者の方、一意見として聞いてくださいね

GCMPは自由気ままな成長プラットフォームにならなければならず、昨今面白い人がそんなに集まらないというのは作り込み過ぎに原因があるのだろうという感じがしているという話。今のGCMPはある程度優秀で面白い人を大量に生むことはできるかもしれないが、突き抜けて面白いどころか理解不能なレベルに変になっちゃった人(=僕らが本当に見たいもの)を生むことはあまりできていないというのが問題意識です。

公報不足とか認知度不足とかの問題は本質的ではない。一番最初のGCMPが(僕は参加その期の参加者ではないが)参加者の質や攻めている感じがともに最上級だったというのは2つ理由があり、アーリーアダプターは概して面白いってのと、プログラムデザインがゆるゆるだったからというのだ。このうちアーリーアダプターの原理にはもう頼ることはできないから、プログラムのゆるゆる感は取り戻すべきだ。そこでは参加者に多量の裁量権が与えられる、つまり無茶ぶりとなる。それが参加者の成長のカギだったはずだと思う。

つまりアーリーアダプターは面白いという原理を再び作動させるためにプログラムを完全に刷新することも一手だが、それは天才にしかできない所業なので、われわれがとる次善策として、コンテンツをゆるゆるにしよーよってことです。別の言い方をすれば、今のプログラム設計では参加者の成功率が高すぎる。あそこまでお膳立てされりゃある程度うまくいった雰囲気の結果をだすことなんて簡単過ぎると思われる。うまくいった雰囲気を変に帯びることより、打ちひしがれるレベルの無力感のが貴重かもしれねーよとも言える。その無力感や刺激を出すためには参加者の中にモンスタークラスが結構な割合で混じっていればある程度達成されるかもしれんが、そこに頼りきってしまうのはいかがなものか。

現在のGCMPの設計はある程度の成長の起爆材にはなってはいるのだが、それでも超変態は生まれにくい構造だと思う。キモはやはり無茶ぶりと自由裁量であるべきだ。だから常々思っているのだが、GCMPが提供するコンテンツは下記の3つだけでいい①農村へのなるべく長期の滞在②グラミン銀行(あるいはもっとヤバイ奴の前)でのプレゼン③OBOGネットワークだ。参加者確定〜渡航を長く設け、その間に参加者に③を使って自由気ままに動いてもらい、そして①と②で爆発するという形で十分で、それ以外の枝葉やお膳立てはあまりしすぎると逆効果になる感じがしている。あるいは事前期間にネットでダッカ大の学生とつないで好き勝手に協働させておくとか。そして現地でもある程度「勝手にやってくれ、いい仕組み作れよ」という指示しか出さないという投げ方でいいんじゃないだろうか。それが一番燃えるっしょ。

ちなみにすでに築いた貴重なネットワークを無駄にする必要はない。そこは残しつつ(応募の段階で振り分けたりしたらよい。人の成長の仕方は様々だからそっちで伸びる人もいるはずだし。)、自由気ままチームを並立させるべきということです。

「ダメならダメで仕方ない。次がある。まずは盛大に爆死しよーぜ」がええなと

じゃ引き続きあとはまかせた

日常の「正しいよね」のミスコミュニケーション

狭義の「正しいよね」は事実認識の正誤についてなのだけども、それ以外にたくさんの「正しいよね」が日常言語として使われていてそれが結構ミスコミュニケーション生んでると思うって話。だから僕はあんま正しいを使いたくない。それと、価値観の混ぜこぜは不幸を生むよねってはなしも。

僕の経験によると日常言語における「正しいよね」は、事実認識についての言明である以外には、含意として「(僕のあるいは一般通念上の価値観に照らして)正しいよね」という言明である。まず発話者の価値観に照らされているのかそれとも発話者が人口に膾炙していると信じている価値観に照らされているのか、つまり主観か客観かがあいまいなことがある。まぁこれは「僕は正しいと思う」と言えば主観であり「それは正しいと思われている」と言えば客観で、そもそも文脈でほぼわかる。しかもこのレベルならコミュニケーションに支障をきたすレベルの混乱はないと思うのでさしたる問題ではない。というかむしろ、この点を指摘するのがそれ自体がコミュニケーション力不足っぽい。説明がうまくできないので名古屋大学の大屋教授の言い方を借りれば、そこは「日常的な水準で言語理解」できていれば問題にならず、「普通は[...]分析をしなくても[...]発言の意味は日常的に了解可能」というレベルの問題である。(「おおやにき」より引用)

僕が指摘したいのは、そこでいう価値観とは何の話なのかが不明な点だ。当たり前だが価値観には種類がある。酒井穣氏によれば、それは「快/不快」「損/得」「善/悪」「美/醜」の四階層で、後ろに行けば行くほど個人差が増えるという(この酒井穣氏の対談記事は別の趣旨を持っていて面白い内容なので僕の記事なんてここでやめて一読しにいくことを勧める。僕はこの価値観のパターン分けだけ借用してその趣旨とは別のトピックを書いている)。そして、お好みであればこれ以外にも「面白い/面白くない」や「かっこいい/ダサい」などを想定してもいいだろう。

正しいという言葉は、なんとなくだが、事実認識の正誤を言っているのが50%、善悪の判断を述べているのが30%、損得の判断を述べているのが15%、あとはそれ以外の何か、で使われている感じがする。ここらへんを区別する言い方をしてくれない人がいて、ちょっと会話にならないことがあるので、そこらへんははっきりさせておこうよと思う。「ビジネスとして正しい」とか「人間として間違ってる」とか言えば、ああ前者は損得判断の言明で後者は善悪判断の言明だとわかる。そういう言葉遣いしていこうよと。

「正しい」を使わずに、あけすけに「損だよね」とか言うのもいいのだけど(わかりやすくて僕は好きだけど)、しっかり包まれた日本人的な言い方を好む人が多いのでその人との関係が大事なら言葉遣いには気をつけるのが戦略的でしょう。逆にぶっちゃけトークを好む人もいるのでそこらへんの見極めができるといいよねぇ(僕もこの判断をよくミスるので修行中です)。なお単に事実認識の正誤についていう場合は「それは事実だよ」か「事実じゃないよ」と言えばいい。あるいはそれがわかるような言い方をすればいい。

ちなみに、価値観の衝突をどういなしていくのかというのが日本が抱える一個の課題だと思っている。芸能人が全開の芸を出せないのとかは、「面白い/面白くない」の判断の世界と「善/悪」(あるいは「美/醜」の時も)の世界の混同が起きているからであり、これをどう調整すべきなのかは僕にはまだ丸い答えがない。お笑いの世界はお笑いの世界なのだから「面白い/面白くない」だけで判断すりゃいいし、見たくない人は見ないという選択ができるのだからそこに特殊な価値観が支配する部分世界を成立させるのもいいと思うのだが、一方でそれによりマジで精神的に苦しむ人が背後にいるということを想定すると無制限なのはいかんなぁとも思う(このへんが自分も法学部出身だなぁと思うところ)。そこでどうラインを引いていくかなんだけど、現状がちょっと自粛方向に寄りすぎているとは思うかなぁ

あー研究すすまねーな

一部の神を除き頭の良さには種類があるのでそこんとこよろしく

瞬発思考が過度にもてはやされてないですか。twitterとかそういうインスタントなコミュニケーションチャネルが増えたからでしょうか。最大瞬間風速的な思考といいますか。何かを言われた時にパパパッと分析して8割ぐらいの精度で見解を素早く述べることができるとおおすげえ的な。もちろん思考速度が速いことに越したことはないと思うしそれが要される場面(交渉テーブルとか)や職業(営業とか国際弁護士とか)もあると思うのですが、それとは別種の構築思考も大事だよというのは共通認識になってほしいなぁと思うところ。たしかに、思考のキレが半端ない人に会うとそれはそれでカッコイイなと思うし憧れるのだけど、だからって思考速度の速さ=力=正義みたいになり過ぎているとは思います。ちゃんと時間を掛けて深い思考ができる人をもっと評価してそういう人をちゃんと就活強者にする仕組みとかできないものかね。そこ軸にしたら採用活動大変だろうけど、努力不可欠だからそういう人とったら役にたつよ。

ストックとフローという言い方をしてもいいです。昨今はとかくフローがもてはやされその場その場で気の利いた発言をするという瞬発力が大事にされておりますがぐううううっと貯めこんでおりゃあと出すストックの思考の結果もちゃんと大事にして欲しいですよね。以前ブログを書いたら長いんじゃボケと怒られて、でも僕としては無駄な枝葉や修辞を施した記憶はほぼなく伝えたいことの複雑性(ゆうてブログに書けるレベルの複雑さでしかないわけだし)が高かったから相応に長くなったという話であって(だから今回はトピック絞って短くしてみた)。かめはめ波じゃいくら撃っても倒せなかった敵も元気玉なら倒せたんですし。構築していく思考能力、それには明晰な分析力と広範な知識と粘り強さと統合力とひらめきといろいろなものが必要でなかなか稀少っすよ、こっちのが。

あ、あと、そういう溜め込むタイプの人ってコミュ症だったり引きこもりであることが結構あるのだけど、コミュ症の天才プログラマーを組織にちゃんと取り込んでいる南場さんとか引きこもりを日本の価値ある資源と見てそれを経済チャネルに載せようと頑張っているカワンゴさんとかの方針が僕は好きです。それが多様性を認める社会ってことだと思います。

思考がゆっくりで出不精な自分を擁護したいだけですけどね。。。。ちなみにもちろんのこと、思考の構築力、物量、速さ、ひらめきが全部すげえ人が一定数いて(これが一部の神)、そういう人に会うともうドラクエ6でキラーマジンガに息つく間もなくフルボッコにされた時のようなすべてを投げ出したい気持ちになりもしますけどねww

そして誰か神になる方法を教えて下さい。やっぱり鬼の24時間労働なんですか、、、

魔界としてのVISMOOT

VISMOOTにすでにもう都合3回関わってしまい、さらに今年コーチをするなんてことになって(僕はいま政治学徒を自称しているのに。。)もはやヤケになっている僕が思う「学部生がVISMOOTをやる意義」をつらつらと語ろうかと。長々とVISMOOTの有用性について語りますが、僕がこれを書く上で前提としている認識を先に書いておくと、学部レベルの日本の教育についていま議論しなきゃならないのはどうやって学生をやる気にさせるかであって、カリキュラムとかは全部手段だし教育内容も全部手段だよってことです。①やる気スイッチを激しくオンにするトラップを学校内に盛り込みまくる、②「大学にとりあえず行く」を減らして高校卒業→就職のロールモデルを確実に増やしていき、大学に行かないパターンと大学に行くパターンの競争を発生させることが必要、あたりが僕の立場ですが、ここではこれらには深く立ち入りません。言いたいことは、VISMOOTがよいのはそれがヤル気スイッチになるからであり、だからみんなせいぜいがんばれよwwってのと、指導者はそこらへんを意識した指導をすべきということです。


1. なぜVISMOOTは難しいのか

まずなぜVISMOOTが難しいのかについて書く。やっていけばわかるが、VISMOOTの難易度は、しっかりリーガルリサーチのトレーニングを受けたアメリカのJDロースクール生が四苦八苦するレベルであり、学部生がリアルにガチでやっても討死必至のレベルだ。ここではそのプロセスをリサーチ、ドラフト、アドボカシーに分けて書き、その後に学部生が出場すること固有の問題も加える。最後に指導者が果たすべき機能を添える。

まずはリサーチである。VISMOOTで提示される国際商事仲裁上の、あるいは国際商取引法上の論点というのは、いまだ定説がない議論の余地ありまくりの論点であることが常であり、議論の定式化が済んでいる古典論点が登場することは稀である。だからもちろん、一般的な仲裁の教科書を読むことでは答えはみつからない。教科書は、どんな議論の可能性がありうるのかの発見のために使う。そこで参照されるべきケースが発見されることもあるかもしれないがそれがすべてではまったくない。問題を読んで論点を正確に把握して教科書でどんな議論の仕方がありうるかをある程度掴んだ上で、過去の仲裁判断を漁りまくったり、実務家や学者の論文など教科書にまだ登場していないレベルのカッティングエッジな議論を参照したりする必要がある。そしてどんなパターンの議論がありうるかをとりあえず揃えた上で、問題に立ち返り、どの筋の議論を展開すれば一番筋がいいかという視点でみて、書くべきケースあるいは学説を取捨選択する。これでようやく、リサーチが完成し、ドラフトの準備ができたと言える。

次はドラフトである。ここは他のふたつと比べれば簡単で、単純だ。リサーチの過程でみつけたケースと論の筋道を、説得的な形で決められた字数内で表現する、それだけである。法律を生業とする人々が説得される書き方(IRACまたはFIRACと呼ばれる)があるので、それを学んで基本に忠実に書く。どの論にどの程度の文字数をかけ、また取捨選択をどうするのかにつき議論は紛糾するだろうが、しっかりしたリサーチができていれば、その判断も自ずとついてくるはずである。あとはもうわかりやすく書くべし、書くべし。

最後にアドボカシーだ。日本の司法の世界では口頭弁論の説得性などが重視されることはあまりないようだが、国際商事仲裁の現場では口頭弁論の説得性はかなりモノを言うらしい(ゆーて、筆者は実際の仲裁の現場にいったことがないので歯切れよくは言えない)。リサーチとドラフトの成果を、3人のガチの仲裁人を前にして、限られた15分ほどの間にぶちかます、これがアドボカシーである。ここがもっともダイナミックで、はっきり言って理論をあーだこーだ述べても仕方がなく、トレーニングあるのみの分野である。基本的な目的は相手の立論を叩き潰すことではなく、仲裁人3人に対し自分の論を説得的に伝えることである。仲裁人に自分の論に与してもらうことを目的として、相手を叩き潰すのである。だから、相手を叩き潰すだけ叩き潰して自分の立場を伝えないのは0点に近いし、相手が叩き潰すに値しないミジンコ並みの立論だった時はあまり気にせず自分の立論をしっかり伝えたほうがいい。大抵、相手側はちゃんとした反論に値する立論をしてくるので、しっかりと議論を噛み合わせて、適切に反駁していくことにより自分の主張を伝えることができれば、高得点になるだろう。

さてこれだけでも、かなり骨が折れる作業だということが伝わっただろう。学部生として出場することで、その主観的難易度はさらに跳ね上がる。すべて英語であり、対戦相手が自分よりだいたい強く、チームワークをせねばならないからだ。リサーチのとこで述べたとおり、一般的な仲裁の教科書を読みことはいわばリサーチの入り口に過ぎないのであるが、学部生にとってはこの時点でかなりエグい。学部2年生でギャリーボーンの英文4000ページの教科書を手にとったら、自分はもしかして間違った樹海に迷い込んだのかもしれないと感じても然るべきだろう。そして入り口を通るために読まなければならない同じレベルの教科書は、5,6冊はあるのだ。しかし心を鬼にして伝えよう、それらは入り口に過ぎない。よちよち歩きながらも、その先、使ったこともないリサーチツールを駆使してケースや学説の探索に出かけよう。さもなくば、大学名をでかでかと印刷した上で提出されたあなたのメモは、世界の法学者の失笑に付されるか、あるいはあまりの低レベルさに対戦相手や審判を怒らせる原因ともなってしまうだろう。対戦相手は強い。英語のハンデを負っているのは我々だけだ。奴らは仲裁についてしっかり学び、リーガルリサーチにつき基本的なトレーニングを受けた上で、出場している。すべてを自転車操業でこなしている我々とはワケが違うのだ。

最後に、チームワークだ。学部2年生なんて所詮子どもだ。やる気をなくすこともあるだろうし、無責任に課題を投げ出すこともあるだろうし、何をすればいいのかわからず結局何もしないなんてこともあるだろう。そういうレベルもバラバラでモチベーションも上がり下がりするメンバーのチームの中で、適切にリーダーシップを発揮して(リーダーシップはリーダーだけが発揮するものではなく、チーム全員が発揮すべき必須のスキルだ)、チーム全員でメモ提出ひいては弁論期日までレベルアップを継続する。これはかなりエグいことである。(おれも学部2年のときはチームの足を引っ張りまくった。周りのメンバーのそんな苦労も知らずに、、

ちなみに、では指導者のすべきことはなんだろうか。それは、学部生に見えてない問題の深みを仄めかす、ということだ。学部生はVISMOOTになんとかかんとか取り組むわけだが、レベル差が激しすぎるので、自分がどんぐらいダメなのかさえわからないパターンもある。それを、学部生にやんわりと教えてあげることだ。お、わりとできるようになってきた!と誤解している学部生をしっかりと叩く。それをすることで、学部生は確かにヤル気になる。ちなみに僕は、モチベーションの源泉はモチベーションがでさえすりゃなんでもいいと思うが(功名心、危機感、ワクワク感、かわいい彼女欲しい感など)、無理やりにでもモチベーションがおこるという点ではやっぱ危機感って結構普遍的だと思っている。

では、このように難しいVISMOOTという課題に学部生という段階で取り組むことで、どのような効能があるのか。ここで大事なのが、魔界としてのVISMOOTという認識である。


2.生存本能を呼び覚ませ

VISMOOTがどのように魔界かについては前節で書いた。ここでは魔界であることがなぜ素晴らしいのかについて書く。まず大学の機能不全の一局面として「学生をやる気にできないこと」として問題を捉え、正体不明のレベルの高い何か(=魔界)と出会うことによって学生は危機感を煽られ・ワクワクしてやる気になるのであり、またそれにより大きく成長するということを書く。

大学で何を知るべきか、何をやるべきかについてはいろいろな意見があるとおもうが、僕の意見は、基本的に自分が好きで熱中できることをやってりゃいいということに尽きる。ただそれが実際には難しく、何が好きなのかわかりませんっていう謎な悩みを持つ学生が一定数存在している。また、やりたいことが何となく仮ぎめ的に見つかっている人でも取り組み方が生ぬるくて、将来まったく関係ない仕事をすることになるというパターンもある。結果として生み出されるのが今の大学の全体的な堕落感、面白みのなさ、あるいは超頑張ってる学生とさようならレベルの学生の2極化という現象だ。これがなぜなのか、について包括的に考えることはここでの目的ではないが、そのひとつの原因として危機感を十分に煽れていないことがあるといえよう。

先に書いたとおりやる気スイッチには様々なパターンがありうるが、危機感をあおることというのはひとつの確実な方法である。そして危機感を煽る簡単な方法は学生を魔界に放り込むことである。自分の知識のおよばないモンスターが潜んでいるやもしれない魔界にふらふらと迷い込むことによって、危機感が芽生え、それによって学生はやる気になり、結果として急成長する。知の魔神の存在を知ることにより、武器も何も持たない野面の自分がモンスターの潜む魔界(社会)に出たらヒドイ目に会うんじゃねーのっていう危機感が芽生える。(あるいは魔神たちがいかにドラスティックに世界を変えていっているかにワクワク感を覚え、必死こいて何かをするってパターンだっていい。)魔界との出会い、つまり正体不明のレベルの高い何かと出会いそれに必死に取り組むことがやる気スイッチのひとつとして確実に機能するというのが僕の経験的な意見だ。

大学受験を想起してもらえばいい。一定程度高いレベルの大学に一般入試で入ったひとは、すでに、模試なんかを受けて自分の全国の学生の中での順位を知って、しらないけどなんかすげーやつらが同世代にそこそこいるらしいということを知るという経験をしたはずだ。それとともに危機感が発揮され必死こいて勉強するもんだからベーシックな能力はかなり鍛えあげられる。それが受験戦争の正の側面だったりする。ある哲学者はこれを樹海と呼んでいる。僕はこれを魔界と呼んでいるわけだ(ダンジョンでも迷宮でもリアル北斗の拳でもぶっちゃけなんだっていいのだが)。

だから、学生を魔界に放り込んで震え上がらせることが大学の重要な役割であるべきで、今の大学に足りていないと思われるものだ。大学がとるとりあえずの手立ては、学者という知のモンスターに出会わせることにより、いやすげーやついるな、頑張ろうかなという気を起こさせようというものだが、概して、学生はそういう見方をすることはあまりなく、将来そこそこ生きるためにいい成績とるためにという視点で授業を見ているので、僕の大事だと思っている魔界効果は発揮されない。VISMOOTが学部生にとって素晴らしいのは、その魔界、しかもかなりヤバイやつ、に間違いなく出会うことになるからである。いかに危機感を駆り立てる装置として機能しているかは、1に書いたとおり。

そう考えると、たいせつな大学の機能(=魔界との出会い)を取り戻す一環としてVISMOOTがありうるように思え、伝統的な法学教育に対するアンチテーゼとして存在しているはずのVISMOOTは、伝統的な法学教育の信奉者から各種の批判を浴びておりそれらが「研究者育成」という目的に照らせばあたっている部分はあるにしても、学生を十分に恐怖のどん底に陥れることができていない現在の法学部のシステムのなかにあって、「学部生を魔界に遭遇させる」という目的に照らせば解決の一手であるという巧妙があるということである。

世の中にはたくさんのモンスターがいるが、とりあえず一体のモンスターに、大学生活の早い段階で出会うことが肝要である。一体モンスターを知っていれば、他のモンスターをある程度相対化してみることができ、新たなモンスターに出会っても冷静に戦うことができよう。たぶん次にはいりこむことになる魔界は、就活とかいう謎の戦いであるが、すでにモンスターにフルボッコにされた経験のある学生はサイヤ人的に戦闘力が伸びているので就活ではエリート戦士になれる(はず)。

となれば学部生に対するアドバイスとしては、覚悟がなくてもとにかくやってみろよ、ということに尽きる。その点、久保田ゼミのシステムはやはりいい。VISMOOTのおぞましさが、入ゼミの段階で見えないようになっているからである。そう、外から見えるのは、輝かしく(?)活躍している諸先輩方の姿と、国際模擬仲裁に出場するなんとなくキラキラした活動内容だからである。不幸への道は善意で敷き詰められているじゃないけど、まぁとりあえずの小さい不幸を乗り越えるだけでひとよりちょっとだけ幸せになれるかもしれないし、いいんじゃねーのってね。

このほど途上国開発における正義および法の支配の役割に関する世界銀行でのカンファに参加していたのだけど、2年前の香港ムートで出会った人が現在アメリカン大学のLLM生として参加していた。ムート・マフィアはその交渉力と馬力を武器に着々と世界侵略を企んでいるようであり、将来大物になる人がたくさん参加しているこの大会で建設的なネットワークを築くことが後々効いてくるかもしれないので、みなさまにおかれてはどんなに疲れていても翌日弁論があっても、ムートバーに繰り出して飲んだくれることもまた大切だよということで本節を結びたいと思います。


3.おまけ:やりたいことってなんすか

やりたいことがわからないという問題に関しては、ホリエモンオタキングの対談でも見ていただければいいと思うが、そこに言及されていない基礎的なポイントとしてひとつ付言しておきたい。

さてVISMOOTが終わって振り返ってみよう。あなたはVISMOOTが好きだろうか、それとも二度とやりたくないだろうか。いずれにせよ、あなたは判断できるはずである。結構な精度で、確信をもってそれが好きなのかどうか判断できるはずである。あなたはもうVISMOOTが好きかどうかわかるのだ。
(学部時代の同期がてしおにかけて指導した後輩にVISMOOTが終わったあげく「ぼくには法律が向かないとわかりました」と言い放たれて愕然としたという笑い話があったことが皮肉にもこのことを如実にあらわしているwwwものの伝え方が大切というのは別の問題ですよね、そういうことは秘めておけばええのだよ)

ここの気付きも結構大切だと思う。何かを好きかどうか判断するためには、そのことにまず結構なレベルでコミットしてみなきゃわからない。その分野で目指されていることや使われる思考枠組、行動準則、その分野にいる先輩の感じとかその分野に参入しようとしている同期の感じ、そこらへんを知って初めてその分野をやりたいかどうかが判断できる。だから、やりたいことがわからないってのは、経験不足、知識不足、つまりは行動不足だと思う。海外に行ったことないやつに海外で働きたいですって言われてもなんてリアクションしていいかわからないし、絵を描いたことがない人に絵を描くのが好きですと言われてもああこいつ頭おかしいんだなとしか思えないのと同じですよね。そういう意味でやる気スイッチを入れることは、結果として「やりたいことがないです問題」も解決しそうな感じがしています。

さて翻って、自分が味見してみたい分野はいくつあるだろうか。そこをまずなんとなく勘でリストアップしてみる。そして優先順位をつけてそれぞれの分野にフルコミットしてみる。いろいろ動いて知ってみる。まず一つ目がなんとなく好きだって思ったら、もう一点突破してしまえばいい(これが今のおれ)。なんとなくしっくりこないなら、次にいこう。そうしていろんな分野をちゃんと味見して、ようやくやりたいことが腑に落ちるんじゃないだろーか。そう考えてそれを就活までに終わらせるとして逆算すると、あんま時間がないことに気づくだろう。だからさ、寝てる場合じゃねえってことですよね。

僕が大学において何らかの形で気づかなきゃいかんポイントだと思っていることのひとつは、世の中にはすげーやつがわりとたくさんいて、そいつらが積み上げてきたものは半端ではなく、社会で意味があることをしようと思ったらそれ相応の覚悟とかが必要だぜってことである。そこから生まれる恐怖・危機意識、あるいは楽観的な人間にとって言えばワクワク感は、努力の糧となりモチベーションのブースターとなる。そうして、学生は変化する。そして自分のしたいことに自覚的でかつ努力をしなきゃいけないとわかっている人間は非常に稀有でこれから必要とされている。別業界の話だが、最後に、貧困解決にとりくむ僕の好きな世銀職員の方の発言を勝手に引用しよう:

「村も会社も政府も世銀も協力隊も、status quoにチャレンジして未来を先取りする個々人が燃えて飛び火させまくることでしか変化を起こすことはできないので、そんなchange agentを見つけて力を貰ったりあげたりしながら一緒に変えて・変わっていく必要がある。」
青年海外協力隊フィールド調査団 実行マニュアルより引用)

これを読んで深く頷けないのなら、まだ世界を変えると言うには早く、とりあえず努力するとこからはじめようってことです。


だいぶ説教臭いなオイ。さて現実逃避はこんぐらいにして、僕も僕で自分の戦いに戻りますww

My list of 100 dreams...to be continued

ロバートハリスの人生の100のリストという本がある。

彼が人生においてやっておきたいことや成し遂げたいことを書いたもので、人生の目標が具体的になってヤル気がまんまんになったり行動指針が明確になったりといういいコトがある。そしてじわじわと流行っている笑 ぐぐったら、NAVERのまとめもあった笑

人生で死ぬまでにやりたい100のリストのまとめ - NAVER まとめ

僕はきくったんてゆうコンフィデンス!な友人から高田馬場の韓国料理屋でバトンを承け、1年ぐらいバトンを左手に握りしめたまま寝て起きてを繰り返していたのだけど、ようやくリストらしいリストになってきたので公開してみる次第。随時更新、そのうち増えてきたらカテゴライズしよっかな!基本的にあるていどフザケてるので悪しからず。

きくったんのリストはこちら。リンクの許可もらった\(^o^)/
つぎに。やりたいことリスト! : むかしと、いまと、みらい


___

1 少なくとも日本語、英語、フランス語、アラビア語を操りながら世界を旅し続ける

2 次点としてスペイン語を使っても旅したいが、これについてはスペイン語を操るラテン系女子と結婚して代替というのもありうる(望ましい)

3 MITとかに行ってかっこいいテクノロジーをめちゃめちゃ見てそのうちいくつかを政治学研究に応用する

4 保守的な日本企業でちょっとだけ働く(外国人ウケするネタを仕入れられそうだから)

5 四国でお遍路さん

6 紅海でダイビングして、その後ガンガゼ(ウニの一種。ウニよりツヨい、毒があって被害者多数。)を食す(こういうのって絶対珍味なんじゃないかと信じ続けて調べていない)。

7 紅海リゾートでダイビング滞在中に、ガンガゼマスコットキャラクターとして売り出すブラックジョーク的なビジネスを興す

8 幼なじみの榎本翔太といっしょにネリにネッた忍者屋敷のような家を建てる

9 コンガを演奏できるようになってコンガを括りつけた鞄とともにバックパッカーやる

10 いま読んでる「嫌われる勇気」にあるようなアドラー心理学を実践しながら横の関係を築きまくる

11 自分の趣味を全開に繰り出した居酒屋かバーを出店する(全然流行らなくてもそんなの関係ねえ)

12 貧困を世界からなくす。つーか途上国とか貧困とかを博物館送りにして、それぞれの国が対等でただ多様性だけを抱きしめて人が自由に旅したい所に旅するような、そんな世界を創る

13 カポエイラのパフォーマンスをやる

14 ギターを担いで世界のどこかで吉田拓郎を掻き鳴らす

15 クラブでのナンパに一回ぐらいは成功する

16 自分の息子が自分でもびっくりするようなファンタジスタになるようにナイスアシストする

17 自分の娘がいろいろな男を騙しまた騙されるような綱渡り人生を歩む格好いい女になるように教えを説く

18 ブータンで幸せについて本気出して考える。

19 日本の研究環境を世界に開かれたものにする。具体的には、まず研究者の流入及び流出が少なすぎる問題をなんとかする。

20 アルゼンチンから南極にいってコマネチ

21 火星人に会ったら漫才コンビを結成できるまで仲良くなる。その他宇宙人でも応相談

22 さまぁ〜ずに会ってお笑いの教えを請う

23 さまぁ〜ずのような下ネタを言っても清潔なキャラを全世界で発揮できるようなスキルをつける

24 さまぁ〜ずのような、絡んでいる女の子が何故か可愛く見えてしまうという不思議な能力を身に付ける

25 いくつになっても年に1回は記憶がなくなるまで飲んで自分の新たな姿を発見する

26 親父に将棋で勝つ

27 道楽としての複雑性科学及び数学

28 アフリカと南アメリカを20代のうちに縦断する

29 縄文杉ぐらい生きる

30 オリンピックのときは東京でパーリナイ

31 ビーチバレーボールトーナメント(地方のちゃいちーやつでもいいから)優勝

32 逆立ちで町内一周

33 高校生相手にクラスの70%の人生が変わるような衝撃的な授業をする

34 ねずっちバリの速さで整うスキルを身につける

35 屠殺を自分でして、ふるまう

36 ハーバードの図書館に行ってネットでバズるような落書きを残す
"The earliest moment is when you think it's too late."的なね。都市伝説なのかね?

37 結婚する。俺を惹きつけてやまないあの人と。

38 誰かと殴り合いの喧嘩をする、んでそのあとめっちゃ飲む

39 海底2万マイルに潜って深海魚相手にコマネチ。できれば笑ったのを確認したいが奴らのツボはどこなのか。

40 シェア別荘を大量にもつ

41 ともだちとゲストハウスをひらいて、ゆるやかに運営する

42 名古屋に超活発な学生コミュニティをつくる
→これとか、名古屋滞在もう先短いから動くわ

43 ヒトラー我が闘争を今度こそ理解して論破する(高校生のときに敗北した)

44 サーフィンで、チューブをくぐる

45 スカイダイビーーーーーング

46 カッパドキアで気球ドキア

47 歩いて山手線一周

48 アマゾン川をくだってピラニアを釣る。食う。

49 世界銀行とか国連開発計画とか各国支援機関が、それぞれ予算を確保するという目的に振り回されて現地のニーズを完全に反映できないという状況を改善する

50 日本における学際研究が開発という分野を起点にしてより発展するために個人の勉強会を小さい規模でまずは名古屋でスタートさせる

51 日本料理を高いレベルでマスターして世界中の友達に振る舞う

52 本を出版する

53 to be continued...




思いつくたびにメモをとりそのメモをなくしたりいろいろしながら書き溜めて50付近まできた。どんどん増えていく予定!

エジプトきたよ タラータ

現在帰りの飛行機、上海発名古屋便がガラガラすぎて面白いぐらい。名古屋に旅行する人がそもそも少ないのか、JAL使う人が少ないか、たまたまか。いろいろサービス受けやすいから快適でいいんやけど、先ほどまで周りを取り囲んでいたアラブな顔立ちの人たちがいないのが、ちょっと寂しくもある。今日はスーパームーン。飛行機は月の方角に飛んでいて、いま粋な機長さんが、少しだけ左に旋回して回り道し、乗客にも見せてくれた。まるで自分で輝いているみたいに、大きく白く明るい月が見えた。

__

エジプトの子どもたちの躾は大変らしい。エジプトはアレキサンドリアで中学時代を過ごした経験があり、かつ日本で子どもたち相手に英語を教えているオーストラリア人の知り合いが、日本のこどもとエジプトのこどもはぜんぜん違うと言っていた。エジプトのこどもはとにかく自由に動き回りルールをどんどん破るから大変だとのこと。彼いわく、個人差よりも国別差のが顕著にあらわれていると思われると。これもエジプトの環境によるところが大きいんだろうか。大人が平気でルールを破りまくる世界だとやっぱり子どももこうなるってことなのかな。こういうところ詳しい人ー

エジプト最後の方、ヘリオポリスっていう街にいった。カイロの南方向にあるこの古くて新しい街は、カイロ内でも特に富裕層が集まるエリアとして有名で、巨大ショッピングモールにはアメリカのフランチャイズのレストラン等が軒を連ねる。食べ物、洋服ともに価格帯はもはや日本と変わらない、ボーリングや映画館やシュティムレーターなんかもあり、完全なシティライフを味わえる空間がある。最後の数日は、よくこのヘリオポリスに出入りした。

一度来てみると気づくのだが、カイロはスペースが完全に足りていない。車は三車線道路を無理やり四車線にして入り乱れて走る。工学的にはちゃんと線をまもって走ったほうが速いんじゃないだろうか、と思うんだけど、ドライバー達のスピーディにねじ込んでいくテクを見せつけられると、こちらの方が早く流れるのかもしれないと思わされるぐらい。クラクションは緊急用ではなく、自分の存在を知らせるために鳴らすから、カットインするときや脇道から大通りに出るときなどにクラクションを鳴らしまくる、日本でやっていたら完全にDQNな形である。交通ルールは存在するけど存在しない。

家はレンガ作りで、どんどん上に成長していく。後付でバルコニーを自前でくっつけたりもする。商店は道路上にどんどん座席を並べていき、出店ルールなどは定かではない。そうやって形成されるオープンカフェスタイルは、人々の回遊性を高めて収益率を上昇させたり、人々が気軽に交流しコミュニティを形成していく基盤になる反面、雑然とした景観をうみ、道路が埋められるせいで立ち往生させられる車などもいる。

アメリカ等のフランチャイズ店がエジプトに進出するとき、このような雑然としたダウンタウンは、顧客分析も難しく出店交渉も大変。そこでスペースのあるヘリオポリスに、外資フランチャイズが集結した。同時に富裕層も多く居住するようになる。町並みは綺麗で、住人は圧倒的な割合で英語を操り、高学歴高収入である。出会った人は、AllenzやIBM勤務だったり、ドイツ留学を控えていたり、歯医者だったり。ヒジャブ着用率も心なしか低い。

周りは砂漠で街を広げていくのはしんどい。それでもナイル川にそって、カイロは南北に伸びてゆく。